今さらだけど首里城外周歩いて新発見しよう! ~後編~

2018年06月03日 06:00

 前編からの、続き。


 場所は歩いて、崎山の馬場通りへ。
 その身のほとんどをつる草に覆われている建物が目の前に現れました。

吉田さん「この緑がいっぱいの建物は瑞泉酒造です。沖縄には今では47の酒造所があり、各地で泡盛が造られています。でも琉球王国時代、泡盛の酒造所はここ首里の崎山、赤田、鳥堀しか認められてなかったんですよ。」


 なるほど・・・つまり、明治以降になって爆発的に酒造所が増えたってことですね。
 琉球王朝時代には、親指くらいのおちょこに泡盛を注ぎ、客人をもてなしたというエピソードもあるくらいですから、酒造が自由化(?)されてから、「こりゃ儲かる!!」と踏んでみな酒造所造ったんじゃないんでしょうか。
 壺屋の焼き物の、泡盛を入れる用の瓶(荒焼)が飛ぶように売れたという話も、この辺りにつながっていそうです。

吉田さん「ところで、現存する最古の古酒って何年モノか知ってますか?識名酒造の150年モノなんですよ!さる大戦の際、地中深くに埋めてたおかげで難を逃れたんです。それまでは300年モノの古酒もあったそうなんですけどね。」



識名酒造さんの150年モノ古酒は、向かって左手でございます

 話は少し変わって、ドブ水と名高い泡盛”白百合”ですが、一度だけ20年モノの古酒になったそれを味わったことがあります。
 白百合の存在意義に疑問を呈するほどに自己主張を失い、非常にまろやかな別物に変わり果てたことに大層驚いたものでしたが、時間の経過が泡盛に及ぼす影響は多大だということを身をもって実感しました。(白百合飲んで倒れそうになったエピソードは、こちら

 150年モノや300年モノの泡盛って・・・・きっと常人では想像もつかない味がするんでしょうね・・・。

 ところで、




 ここ崎山の馬場通りは、通り沿いのサガリバナが有名。
 知ったのは沖縄に引っ越してきた最初の年だったと思うのですが、意外と一度も見たことがありません。興味がないわけじゃないけれど、植物自体にはあまり食指が動かないのが腰が重い理由なのかも?写真見たらすんごい綺麗なんですけど、ね。

 ちょうど、サガリバナの季節も目前です。私のように「知ってるけど見たことない」という方は、今年はぜひいかがですか?
 そしてこの美しいサガリバナの通りですが、



タイトル「野武士」⇒イノシシ



「貉」=アナグマ


「お山の大将」⇒ヤギ

 少しずつ、ネーミングとテイストが異なる芸術作品?があります。
 ガイド吉田さんはスタスタとこの辺をスルーされていったので説明もなくゆっくり見ることもできなかったのですが、これって一体何なんでしょうか??




 ここは那覇ですが、よく見かける自称「日本初」のデザインマンホール(お魚)ではなく、首里限定と思しきデザインマンホールがあちこちの足元に!絣や花織等を満載にデザインした、首里織マンホールですね。マンホールヲタ、必見!!



正殿の裏手にまでやってきました

吉田さん「ここは継世門といって、王様が亡くなった時に世継ぎの王子(中城王子)がここから入って、王位継承を行ったそうです。1879年の琉球処分の際、最後の王様・尚泰が最後にくぐった門でもあります。今は出入りできませんけど、いずれは一般開放されるようになる予定ですよ。」

 現実には、この門自体は復元なので、尚泰が実際にくぐったのは今見ている門ではないんですけど・・・でも王様が国を取り潰されて、かつてここにあった門をくぐって琉球の地を去っていたなんて、胸をキュンとさせるロマンを感じてしまいます。

 ・・・沖縄の方、これを読んで怒ったらごめんなさい。歴史ヲタは歴史上の事実がどうあれ、ロマンを感じざるを得ない生き物なのですよ。



門の左右にある石碑には、この城壁は倭寇にそなえたものだと記されているんだとか。まぁ、石碑も復元ではありますが

 ちなみに、




 以前紹介した首里赤田のみるくウンケーは一度途絶えたそうですが、首里城が復元されて復活したそうです。城の復元って、ただそれだけじゃなくて周囲の文化復興にも影響を与えているんですね。



Croque Monsieur(クロック ムシュー)というパン屋の道楽営業っぷりがすごい。今日はお休みみたいだし、今度来てみようかしら




 首里で有名なそば屋、首里そば。駐車場の看板がかなり石敢當くさい。
 首里そばは人気なので昼時めちゃくちゃ混みます。んが、実は県庁に首里そばの支店があるのです!ここは全く混まないし、観光地国際通りにも近く、オフィス街も近い。食べるなら断然県庁の支店がオススメ!



城外の街道から、丘である上の毛(うえのもう)に向かって坂を登る。今日も朝から暑いので、松が作る木陰がグッジョブ!

 この坂を歩きながら、ガイド吉田さんと豊見城から走ってきた男性の3人で、沖縄の風呂談義に花が咲きました。
 吉田さんの自宅は結構前に建てたものだそうですが、やはり浴槽がないそうです。私はつい先日、最高気温が30度を超えた日に疲労に負けてお風呂に浸かりましたが、沖縄の方には「疲れたからお風呂に浸かりたい」という感覚がないのでしょうかね。。(その他、温泉やお風呂に関する沖縄県民の事実は、こちら



上の毛から南東を見下ろしてみる

 上の毛からは胸のすく景色が広がっているので、ガイドさんも人を連れてくるし、地元の人もやってくる。私達がここでガイドさんの説明を聞いている傍ら、すぐ隣でハタチ前後のカップルがイチャコラおやつタイムをしていました。今のうちにそういうの楽しんでおけよ、若人ら。。



道沿いに、超絶人懐こい美ネコが!!持って帰りたいくらいの可愛らしさ!!

 猫好きさんは、ぜひ上の毛へお越しください。



外周散歩もそろそろ佳境へ

 あ、この風景・・・




 後方に若干邪魔な建物はありますが、広がる緑に赤瓦の建物が並び立つ景色。
 昔の写真をどこかで見たことがあるのですが、かつての首里は王都とはいえ、今ほど家々が密集して那覇との境が分からなかったほどではありませんでした。当然、写真とは異なりますが、この角度からの景色は王国時代をなんとなく彷彿とさせるような気がします。

 あの赤い瓦は多分、沖縄県立芸術大学の関連施設ですね。
 首里城が復元される前は琉球大学が城跡の上に建っていたのは有名な話ですが、他にキリスト教短期大学もあったんだそうですよ。



話は城壁の形へ

吉田さん「城壁のちょんと出たところ、何か分かりますか?あれは魔除けなんですよ。城壁自体も真っ直ぐじゃないんですが、理由としては沖縄特有の強い風を逃がすため、あるいは沖縄の人は角を嫌うから、とも言われています。」

 私のレパートリーに新たな魔除けの形が加わりました。沖縄、どんだけ魔除けあるんだよ。。

 石敢當、ひんぷんは真っ直ぐにしか進めないマジムンへの対処。
 稲科の植物を結んだサンは、食べ物の上に置いて食べ物を腐らせるマジムン避け。
 村落獅子は外に向かってマジムンが入ってこられないように。又は火ぶせ。
 シャコガイは石敢當や各家のシーサーと同じ役回り。

 じゃあ魔除けだと言われるあの城壁の出っ張りは??
 役回りとしてはシーサーに近いんでしょうか?何を想定した魔除けなのか、聞いてみればよかったな~。



視線の先にあるものは・・・

吉田さん「この先に見えるのは第2尚氏の菩提寺であった、臨済宗の寺・円覚寺跡です。先の大戦でお寺は失われてしまいましたが、あそこにかかっている放生橋は一部修復されていますが500年前のままなんですよ。牡丹、鶴、麒麟なんかが彫刻されてます。」

 おお!!激戦地になった首里に、500年前の建造物が姿を留めて残っているなんて奇跡ですよ!しかも沖縄の石材彫刻の最高傑作とまでうたわれているそうです。
 もう少し、よく見てみたいものだ・・・




 頑張ったけど、これが限界だしよく分からない・・・




 実際はこんな感じだそうです。そのたたずまいから、石橋に刻まれた歴史が伝わってきますね・・・あの大戦さえなければ、首里城もこんな趣を称えた巨大建造物でさぞ見物だったことだろうなぁ・・・。



というわけで、守礼門へ到着

 守礼門に帰ってきたのはAM9:20。外周散歩を終え、戻った頃にはいつもの賑わいをまとった風景に様変わり。聞こえてくる言語は、やはり日本語以外が圧倒的です。かつて交流のあった中国本土の方々は、ここに来て一体何を思うのでしょうね。

 これにてまちまーいも終了。
 吉田さん、この度は大変お世話になりました!「まだ新人だから・・」とのことでしたが、これからも地元ガイドとして頑張ってくださいね。
 

 以上、今さら感はありますが、沖縄観光のド定番地・首里城の外周を行くまちまーいでした。
 今回は沖縄観光の基本ということで、当然既知の内容も多くはありましたが、やはり初めて知ったことも多く、特に大戦を逃れて現代にかつての姿を伝える放生橋の存在には驚かされました。「沖縄のことはだいぶ知ってるし、今さら首里城なんか・・」と言わず、初心に戻ってみるものもいいものです。

 ところで、9時すぎにまちまーいを終えて私が向かった先は、昨年「おきみゅー」という愛称がつけられた県立博物館・美術館。
 ここでは現在、




 「懐かさん戦前の首里城」という写真展が開催されているんです。大戦による消失前の首里城とその周辺の建造物の写真が多く展示されており、まちまーいとの相性はバツグン。セットで訪れると興味深さ・楽しみが2倍になるのは間違いなし!無料ですので、ぜひどうぞ。6/24まで開催されてますよ。

 ちなみに朝イチだったせいか(そもそもこのテのものは人が少ないせいか)、私が見ていた30分の間にお客は一人でやってきた年輩の男女3人と、親子連れ一組のみ。
 小学校前後くらいの男の子を二人従えた母親は適当に見流していくものだと思いきや、




母親「あ、園比屋武御嶽石門、今と石の積み方が全然違う!」

子供たち「しゅれいもんーーー!!」

母親「ほら、これ何か分かる?言ってみて?これは歓会門だよ!ちゃんと覚えてね」

子供たち「かんかいもんーー!ろうこくもんーー!」


 普段なら「静かにせんかい」と心の中で悪態をついてしまう私も、この時ばかりは突如始まった母親の英才教育に驚き、興味津々で耳を傾けっぱなし。
 この母親の歴史と沖縄に対する思いが、将来アイデンティティーを備えた「沖縄人」を生み出していくんだろうなぁと、感心しきりでこの場を後にしました。

 沖縄の未来を担う、立派な大人に育てよ。子供たち・・。 
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