そして私はというと・・・年に1回も映画館に足を運びません。レンタルも稀です。
昨年以前にいつ映画館に、何を見に行ったかと思い返せば、2015年に桜坂劇場に足を運んだ『イザイホウ』。かつて久高島で12年に1度行われていた、あの神事をまとめたドキュメンタリーです。
30代前半で映画館のお金払ってこれ見に行くとか、全く私らしいですわ。
リンク先は欠品ですが参考にどうぞ。めっちゃ欲しい。誰か買って(笑
なお、イザイホウの前は何を見たかというと、大好きな、大好きなヒュー・ジャックマン主演の『レ・ミゼラブル』。
これは2013年なので、まさに1年に一度も・・・です。
1人で見て大泣きするも、周囲を見渡すと誰も泣いていなかったという衝撃の思い出
そんな私が先日、おそらく1年以上ぶり?にレンタルしたDVDがありました。
それが、『ハクソー・リッジ』。
日本では昨年劇場公開されましたが、見た方いますか?
この映画は沖縄戦で衛生兵として従軍し、70人以上の負傷兵を戦地から救ったデズモンド・ドスを描いた作品です。
そして舞台は、沖縄戦の中でも一番の激戦地と言われた、ハクソー・リッジこと前田高地・・・つまり、浦添城跡。
当然、私が興味を示さないはずはありません。封切りになる前から、絶対に映画館に見に行こうと思ってたんです・・・けどね。
よくある、気がついてたら終わってたというやつです。まぁそれ以前に映画館に行くことがないから忘れてただけかもしれませんけど。。
ということで、今回はこの『ハクソー・リッジ』を目指してツタヤに走った昼下がりの直前3時間について、ご紹介したいと思います。
AM8:55、浦添グスクようどれ館前にて
梅雨明け間もないとある日曜日。
本来、この日は県内各地でハーリーが開催される特別な日。なので当初はハーリーはしごを考えていたのですが、まさかの台風襲来によりことごとくハーリーは延期・中止に。
そこでこの日の次点と目をつけていた要予約のイベント「前田高地の戦跡めぐり」に参加するため、金曜日のお昼に滑り込むように電話で申込みをしたのです。
そして、当日。
元気に休日早起きして向かった会場の受付の女性に、まずは朝一番と、意気揚々ご挨拶といきましょう。
牧「おはようございます!牧です、今日はよろしくお願いします。」
受付「えーーと・・・名前がないですね・・・」
牧「・・・えっ?いや、電話で男性に伝えたんですけど・・・」
受付「そうですね・・・じゃあ2班に入ってください、はい、資料どうぞ」
牧「・・ありがとうございます。」
るんるん気分でいざ到着したようどれ館ですが、こうした事態に見舞われたおかげで私のテンションは当初比80%減でスタートしたのでした。
気を取り直して・・・2班のみなさんよろしくお願いします♪
今回のガイドは、うらおそい歴史ガイド友の会の皆さま。
沖縄には様々なガイド団体がありますが、こちらにお世話になるのは初となります。
ちなみに。
友の会サイトの管理者さんでしょうか、時折当バカ(仮)サイトに遊びにいらっしゃることがあります(友の会サイトは
こちら)。先方は私のことを多少ご存知のようですので、今度はこちらから「ご挨拶」ですとも(笑
それではいざ、石畳から始まる前田高地の戦跡めぐりへ出かけましょう!
浦添城跡には何度か来たことがあるけど、この先は初めて足を運ぶ・・・
浦添城跡をあまり知らない読者の方にざっくりこの場所を説明しておくと、ここは浦添市の小高い丘。第二尚氏の時代には第三代尚真王の長男がここに浦添家を立て、当長男の玄孫が第七代尚寧王となりました。
私の中で、尚寧王は第二尚氏で4番目に知名度の高い王様です(1尚泰⇒2尚円⇒3尚真⇒4尚寧⇒5尚宣威)。
彼の時代に薩摩侵攻の憂き目にあい、彼は第二尚氏代々の陵墓である玉陵に葬られることなく、ここ浦添城跡にある「浦添ようどれ」に葬られました。
ちなみに、本当かどうか分かりませんが、
すでに伝説の匂いのする英祖王もここようどれに葬られているそうです。
「ようどれ」が夕凪の意味だと知った時には、なんて素晴らしい響きなんだと感銘を受けたものでした
話は今に戻り、まずやってきたのはシーマヌウタキ
この浦添城跡の一角には、沖縄学の父、伊波普猷が眠っている場所があります。先の大戦時にはその墓に日本軍はなんと陣地を築いていたそうです。
墓に、陣地。。
まぁ沖縄の墓ってデカいから窮状には色々利用価値ありそう・・
伊波普猷先生、おちおち寝てもいられない
で、日本軍はこのシーマヌウタキと陣地を壕掘ってつなぎ、前田高地が陥落した際にはこの壕を通って南へ逃げたんだそうです。
ガイドさん「ウタキにはね、この周辺の祖先の骨が納められてあったわけ。だからこんなことに使うなんてとんでもないことだよ!」
安らかに寝ていたご先祖様、叩き起こされただけじゃなくて絶対泣いてたよね・・・。
クチグヮーガマへ
ガイドさん「この壕にはね、飛び散った人の体が張り付いていたんだよ。人が、人でなくなる・・・それが、ここ前田高地の戦いだったわけです。」
参加者は誰もが悲痛な面持ちでガイドさんと壕がある方向を見つめます。
私自身もそのうちの1人なのですが、冷静に考えると
これだけ参加者全員の気持ちがマイナスを向くガイドツアーは初めてかもしれません。
空には気持ちのいい適度な曇り空が広がっていますが、心はみな土砂降り模様・・・これがハクソー・リッジをなぞるガイドツアー・前田高地の戦いの真実・・・。
そしてふと、思ったのです。
そもそも朝からテンション上げて参加する内容ではなかった・・・受付の女性が私のテンションを落としたのは実は正解だったのかも・・・ということを。
思えばここがツアー中テンションの底でしたね。
ここから徐々に上げていきましょう。
中編?に続きます(今回は見切り発車でございます)。
※「前田高地」の箇所がほとんど「高田高地」になっていました。大変失礼いたしました、全て修正しました。ご指摘くださった読者さん、ありがとうございます!!