前田高地の頂上に、鋭く尖った少し特徴的な岩が目に飛び込んできました。
この岩は通称、為朝岩。他にも「ワカリジー(分かれ岩)」とか、「ハナリジー(離れ岩)」とも呼ばれています。
為朝とこの岩自体のつながりは不明なのですが、
野底マーペーのように
「愛しい為朝が沖縄を去った後で妻がこの場所から為朝が去った方向を見て涙を流して岩になった」とかだったら面白いんですけど。。
しかし、為朝岩を目前にしたここで急展開。
ガイドさんより、舜天王が為朝の息子という話は明治になって中学校の校長先生が子どもたちを
勇気づけるために作った
作り話だという事実が明かされました。
当初から「為朝の話は『義経チンギスハン説』くらい眉唾だ!」と思っていたのですが、10年の時を経てようやくこの話は私の中で「伝説」から「おとぎ話」になったのでした。やれやれ。。
・・・ただ・・・「勇気づける」という言葉の意味が気になるな・・・。
明治以降、沖縄県民は一生懸命「日本国民」になろうとしていたのですが、「君たちの祖先は武家社会を作った誇り高き武士の一族なんだから、君たちにも日本人の血が流れてるんだよ」と「勇気づける」意図があったのでしょうか・・?
わからん
緑の中を進んでゆけば・・・
為朝岩を直に触ることのできる場所へ
この岩の名称は沖縄でも複数ありますが、沖縄戦において米軍からは「ニードルロック(針の岩)」と呼ばれていました。
米軍は沖縄を攻略する際に上空から20万枚以上の写真を撮り地図を作ったのですが、上陸地点の読谷周辺と比べてこの浦添周辺は精度が低かったようです。しかしこの岩が目印になり、トンボ飛行機が攻撃してきたとのこと。
ちなみに、今沖縄県公文書館では「空中写真にみる沖縄のかたち」という企画展をやっていますが、ここでいくつか写真が見られますよ!
それと・・・米軍はチービシ(那覇と慶良間の真ん中当たり)に155号砲を設置し、ここまで攻撃してきたそうです。そんな場所から狙ってここまで砲撃してくるなんて、ミジンコのような在沖日本軍の火力との違いは歴然だったことがよく分かりますね。
生々しい銃痕と、岩を囲むワイヤー
攻撃されすぎて、当時より小さくなった為朝岩。
戦争を経てボロボロになり、自身では形が保てないためワイヤーで固定されている為朝岩・・・。
あ、一句うかんだ。
"身を削り 風に吹かれて 生き証人"
為朝岩の根本にある小さな御嶽と墓・・・
またまた眉唾な話が飛び出ました、ここを舜天王の墓だと主張する方もいらっしゃるとかなんとか。
本当だったらもっと豪奢に葬られていると思いますよ。
為朝岩に別れを告げたら、いよいよ映画「ハクソー・リッジ」の表舞台へ!
前田高地の北東側は一面霊園が広がっています。
びっくりするくらい霊園がうるさい。
それなりに広い霊園ですが、どこに立っていても目に入るんじゃないかと思うほどあらゆる場所に警告文が張り出されています。
マナーが・・・よくないのかもしれないけど・・・この様子を見て、ここにお墓が欲しいとは思わないっ。。
為朝岩から霊園をとおり、
★の場所にやってきました
★の位置から北東に向かっております
今、目の前に広がっている景色・・・実は、この場所こそが映画「ハクソー・リッジ」の表舞台。断崖絶壁150メートルの崖が、まるでのこぎりのように険しく切り立っていたことから、「Hacksaw Ridge」との名がついたのですが・・・
断崖絶壁という言葉が似つかわしくないほど、
なだらかですよね。ガイドさん曰く、沖縄戦当時までは急峻な場所だったそうですが、戦後復興の中で石材の切り出しが行われここは霊園が造られるほど傾斜が緩やかになったんだそうです。
(米軍の進撃状況や前田高地の当時の様子等は、
浦添市のHPに詳細があります!)
米軍が進撃してきた高地の東北に向いたガマの入口。数年前まで入れたらしい
印象的なガジュマルがあちこち腕を伸ばした木陰で小休憩、ここは・・・
前田高地平和之碑
ここが『ハクソー・リッジ』での全戦没者を祀った・・・ではなく、中編で少し触れた"志村隊"の戦没者を慰霊した碑になります。隊が北海道出身者中心に構成されていたため、碑に刻まれた文字は北海道知事の書とのこと。
また、ここには浦添市の米軍基地・キャンプキンザーの小学生が千羽鶴を供えに来るんだそうですよ(
今年3月の様子をタイムスが記事にしています)。
平和之碑の右側から階段を登っていくと、
そこは前田高地の高台、浦添城跡内
日本で『ハクソー・リッジ』が封切りになる1年前頃から、白人や近隣諸国の観光客が多く城跡を訪れるようになったため、事情の分からないガイドの方々は「??」状態に。
日本で封切りとなったタイミングで映画の舞台がこの場所と知り、「やさ!」となったんだそうです。
今は国内・海外問わず来訪者が多いため、映画の舞台となった随所にこうして看板が設けられています。ガイドさんがいなくても、映画を見た人であればそれなりに『巡り』に充足感が得られそうですね!
そんな話をしている矢先に軍属の家族と思しき一団が
これまで何度かここに来たことがありますが、確かに地元の人以外ほとんど見たことがない。
彼ら以外にも白人がいたので、観光に訪れる人が増えたのは間違いないようですね。
今はクワズイモの巣窟と化したあの場所も、元は壕の入口か・・・
説明はもう少しありましたが、「前田高地の戦跡めぐり」については以上となります。
さて、今回ツアーを通して思ったことは唯一つ。
なぜ、映画を事前に見ておかなかったのか。
知ってる。私の怠惰が全ての原因ですよね。原因は全て私にあります。
・・・とはいえ、早いかもしれないけどもしかしてもうレンタルされてたりして??
牧「ガイドさん、ガイドさん。封切り昨年でしたがDVDレンタルされてますかね?」
ガイドさん「うーーーーん、分からんさぁ!」
牧「(いや、ガイドならここで『まだ見てない方はレンタルできますよ』とか言うべきだろ!)
そうですか、じゃあ帰りにツタヤ行ってみますね!」
そんなわけで、ツアー後にツタヤに一目散に向かったところ、すでにDVDはレンタル開始。
世の中の回りっぷり、本当に早い。
脇見もふらず目的のDVDだけをゲットすると、帰宅しランチ後に再生・・・しかし梅雨明け直後の暑さに体がついていかず、そのまま2時間も眠りこけてしまいました。
気を取り直し、起き上がってもう一度頭から再生・・・っと。。
「あそこから沖縄を落とし」
「沖縄から日本を落とす ( ・`ω・´)キリッ」
おお・・・これが米軍がそう呼んだ「ハクソー・リッジ」。
確かに今の緑溢れる前田高地とは異なり、急峻で切り立ち、見事にハゲた断崖絶壁・・・。
この映画は本島上陸のシーンもそうですが、忠実な再現に気が払われているのがよく分かります。この点での世間的な評価も高いようです。
きっと前田高地も戦中はこんな状態だったんですね・・・。
・・・あれ??
(以下、衝撃画像ですのでグロ系が苦手な方は飛ばしてください)
戦死した兵士に群がる丸々肥え太ったネズミ
沖縄の在来種ネズミといえば、ケナガネズミやオキナワトゲネズミ。
このネズミは、明らかにこの2種とは違う。
『ハクソー・リッジ』のリアル再現も、ここでついにほころびが・・!?
リュウキュウジャコウネズミ:肉食性の強い雑食
いや、ここまで忠実に再現されていたとは・・!!
これを読んで、『ハクソー・リッジ』を見て、「自分もツアーに参加してみたい!」と思った読者のみなさん、朗報です。
9/1まで毎土曜日に、うらおそい歴史ガイド友の会によるツアーが開催されますので、ぜひ参加してみてくださいね(詳細は
こちら)。
※一度書いたのが全て消えてしまったので途中で力尽きました。すみません・・・。