問い
T字路の突当りに建てられる魔除けは何ですか。
1.火の神 2.石敢當 3.ヒンプン 4.キジムナー
これを目にした彼女は、
「いやー、ひとつも知ったのがないわぁ!!これ何?火の神は神様やろうけど」
と聞いてきたのです。
本当に、久しぶりに沖縄ド素人を目の当たりにして、なるほど、これが素人さんの反応かとこちらも新鮮しきり。
牧「ヒンプンは、家の入り口の前にある目隠しのような石壁で、石巌當は街中歩いたらいっぱいありますよ(濁す)。キジムナーは真っ赤な髪の子供の姿をした妖怪ですね。」
こう答えたところ、彼女は少し悩んだあげくにこんな答えを出したのです。
「それなら4.キジムナー!妖怪には妖怪や~!」
・・・なるほど。
こういった考え方もあるのかと感心する傍ら、あまりに斬新すぎる発想に、
失礼ながら大笑いが止まりません。
母親が正解を教えたような気がするんですが、会話が終わるまでずっと笑いっぱなしでやり取り一切記憶になし。
何にでも共通することなんでしょうけど、物事に関する知識がほとんどなければ、要素を提供されてもこちらが予期しない結果になることがあるんですね・・・いい経験になりました。
先日、出張で熊本市に行ったついでに天草まで足を延ばしてきました。
歴史上、天草で有名なエピソードといえば、100人中99人は天草島原の乱と答えるに違いないでしょう。
欧州諸国が日本を侵略しようとしていると考えた豊臣秀吉、続いて徳川家康とその息子秀忠により出されたキリスト教禁教令と凶作、重い年貢に耐えかねた天草、島原の農民たちが起こした一揆・・・それが天草島原の乱。
最終的には島原にある原城に立てこもった、天草四郎時貞始め37000人の人々は皆殺しにされるという悲惨な運命を辿ることになったのです。
大名側と一揆衆の激闘の末、川が血に染まったという云われを残す祇園橋
しかし、その後も発布され続けた禁教令にも関わらず、この地の人々は隠れキリシタンという形で信仰を続け、欧米列強の力付くの開国により始まった明治時代には、禁教令も廃止となり、現在に至る・・・とこんな感じでしょうか。
隠れキリシタンの地だけあって、この周辺にはその流れを汲む教会がいくつかあり、それらは日本の次期世界遺産候補となっています。
一つ目に訪れたのは、昭和8年に建築されたロマネスク様式の大江カトリック教会。
天草の真っ青な空を抜き取ったような白さを放つ美しい教会です。
ここで礼拝した後、最も訪れたいと思っていた教会に向かいました。
ここは、天草市崎津。
住民の過半数は隠れキリシタンだったという歴史をもつ、穏やかな港町です。
右奥に目指す教会がすっくとそびえていますね。行ってみましょう。
車を降りて空を見上げると、やたらトンビが飛んでいる。
トンビの鳴き声はのどかで結構好きなんですけど、ピーヒョロロピ-ヒョロロすぎて煩いっ!!
こちらは荘厳なゴシック様式の崎津教会(崎津天主堂、とも)。
何度か建て替えが行われ、現在の教会は昭和9年に建築されたものだということです。
大江と崎津の両教会は建築様式こそ異なれ、
中に入れば何も変わらないんだな、というのが正直な感想でした。
この崎津教会は小さな集落に囲まれています。
日本のよくあるイナカ集落の姿
ターゲットは誰だ・・・
ここを歩いていると、観光客相手に商売をしていると思しき年配の男女の声が聞こえてきました。
男性「さっき観光客の一団が見えてたけど、どうだった?」
女性「誰も杉ようかんに興味を示さなかったよ・・・はぁ。。」
私が女性の前を通った時、彼女はにっこりと笑顔で杉ようかんを勧めてきました。
女性「おねぇさん、杉ようかんだよ。崎津にしか売ってないよ、食べてみない?」
牧「・・・(魅かれないなぁ)」
女性「おねぇさんはどこから来たの?」
牧「沖縄からです」
女性「まぁ、遠いところから・・・!そうだおねぇさん。この杉ようかんは琉球から伝わったお菓子なんだよ。」
牧「(なんだって!?)・・・一つ、お願いします」
沖縄には杉はおろか、ようかんだって存在しない。
それなのに『琉球から伝わったお菓子』とは一体どういうことだろう??
お昼ご飯を食べる時間が惜しかったので、これをお昼代わりにしようと一つ購入し、数時間後、お腹が減ってきたのでさっそく杉ようかんを御開帳してみました。
パッと目に入るのは可食部にのっている杉の葉ですが、実はその下にも杉があります。杉の葉にサンドされている状態ですね。
付属の紙は、こんな感じ。
ほんのり・・・杉の香り♪
幻の味復活!!とありますが、調べてみるとここ数十年は後継者がおらずしばらく途絶えていたそうです。それを試行錯誤させ、つい近年復活させたのがこの杉ようかんとのこと。
名称は『ようかん』ですが、食感は完全に餅ですね。
主材料がうるち米。それは当然、餅だろ
上下の杉をはがし、パクリと食いつくと中から出て来たのは餡子でした。
上品すぎる写真でごめんなさい
・・・沖縄の伝統菓子に餡子なんかないぞ。
食べる機会が少ないせいか、沖縄県民は餡子がニガテだという人が意外と多いもんなぁ・・・。
付属の紙の裏には、杉ようかんに関する云われが書かれてありました。要約すると、こんな感じです。
~1790年、徳川家斉の将軍就任を祝うため琉球が送った慶賀使が台風で難破し、一行51名が漂着したのが崎津でした。崎津の人々は彼らを救助し、それに感謝した使節一行はお礼に杉ようかんの作り方を伝授したと言われる~
なるほど。確かに琉球王国から伝わったもののようですが・・・何度も言わせてください、細かい要素要素を考えてみればみるほど
沖縄にこんな伝統菓子はない。
・・・・と、なると・・・。
使節団は当時、一体何を伝えようとしたんだろう・・・。
杉ようかんの要素を箇条書きにして、ここで再度考察してみましょう。
読者のみなさんも一緒に考えてみてください。
①起源は、琉球王国時代からある菓子
②食べ物としては、うるち米に砂糖を加えたものを蒸し上げた餅
③形は長さのある長方形
④餅は杉、つまり香りのする植物で覆われている
⑤紅白が引かれ、縁起のよいものである
⑥中には餡子が入っている
全てとは言いませんが、最も当てはまりそうなものと言えば・・・読者のみなさん、もう分かりましたね?
ピンとくるものと言えばそう、コレです!!
ムーチー!!
もうね、これしかないよ。間違いないでしょ。
①から③はもうそのまま。
④については、内地には月桃がないので『香りのよい植物』として代用したのが杉だったんでしょう。
⑤については、沖縄んムーチーに紅白の帯はありませんが、健康祈願の縁起物でもありますし、使節団が出立の際、縁起を担いでこのムーチーを教え、作ってもらい食べて江戸を目指したことは十分考えうることだと思います。
⑥については・・・それだけじゃ物足りなかった崎津の人たちが後ほど追加したんじゃないでしょうか。伝えられて200年も経っていますし、それくらいのオリジナリティーは加えられていてもおかしくはないでしょう。
ただし、名前だけはどうしてもいただけない。。一体何がようかんだというのだろか。。
どうして名前がようかんになったのか・・・これを誰か知っている人がいないかなぁ・・・!
杉ようかんとの出会いと考察、そして行きついた答えは今回の旅一番の成果だったような気がします。
琉球王国時代から土地にそのまま受け継がれてきたムーチーと、沖縄の人々が全く知らない場所で落とし胤のようにひっそりと、しかし脈々と受け継がれてきたムーチーの子孫、杉ようかん。
貿易や交易を通じた文化の交流以外にも、こうした偶然が地域の伝統や食文化として根付いていくことも、きっとたくさんあるはずです。
私の興味のある『沖縄』は、沖縄という土地だけにあるものではなかった・・・まさかの偶然に心が震えた、杉ようかんとの出会いでした。
崎津の可愛らしいにゃんことの出会いもありましたよ
読者のみなさんで杉ようかんに興味の湧いた方、いるんじゃないでしょうか?でも私は「天草は崎津に行った際には・・」とは言いません。
誰がそんな酷なこと。。
製造元の吉田製パンは地方発送も受けているそうなので、どんな味か試してみたい方はこちらに連絡してみてくださいね♪
吉田製パン:0969-76-0404
宮下商店(販売元):0969-79-0007