2014年01月29日
沖縄御朱印ハンター ~その1~
みなさん、こんにちは。
2014年もはや1ヶ月が経過しようとしています。
少し話題としては古くなりますが。
1月と言えば、新年。
新年と言えば、初詣。
年が明けて、みなさんご贔屓のお寺や神社に行きましたか?まだ行ってないな~という方、はたまた、寺社なんか行かぬ!という方もいるかもしれませんね。
2014年もはや1ヶ月が経過しようとしています。
少し話題としては古くなりますが。
1月と言えば、新年。
新年と言えば、初詣。
年が明けて、みなさんご贔屓のお寺や神社に行きましたか?まだ行ってないな~という方、はたまた、寺社なんか行かぬ!という方もいるかもしれませんね。
そこでみなさん。『御朱印(ごしゅいん)』というものをご存知でしょうか?
御朱印とは、参拝の証として寺社でいただける、平たく言うと昔のスタンプラリーのようなものです。

こちらが御朱印帳なるもの。厚紙が蛇腹状に綴じられており、宮司さんや巫女さんに直接書いていただきます。スタンプラリーとは言いましたが、大きく違うところは『神様仏様の分身』と見なされている点です。なので粗末に扱ってはいけません。
御朱印代は、基本的に300円。
それでは御朱印をいくつか紹介しましょう。

人生初御朱印、平等院鳳凰堂。

銀閣寺こと、慈照寺。

世界遺産、京都宇治上神社。こういった特殊なものもある。500円。
御朱印は本来、参拝者が写経を納めた際にいただく印。単に、寺社に行って即書いていただけるものではありません。御朱印をいただく際には、最低限参拝するくらいの気持ちを持たないといけません。
ところで私の御朱印帳には、京都の御朱印しかありません。沖縄にだって寺社はあるんだから、沖縄の御朱印を集めつつ、沖縄の寺社について少し学んでみようかな?
沖縄には、琉球王国時代に王府から支援を受けて繁栄した、『琉球八社』という特別な八つの神社があります。波上宮、沖宮、識名宮、末吉宮、天久宮、安里八幡宮、普天満宮、金武宮がその八社。
これらは熊野権現という三柱の神(イザナミ、ハヤタマヲ、コトサカヲ)を祀るとともに、それぞれの神社ごとに祀っている神様もいるそうです。
うん、由緒正しい神社なら、御朱印ありそうだね。であれば、琉球八社を中心に、有名な寺社を巡ればたくさんの御朱印をゲットできるのでは!?
というわけで、沖縄の寺社を巡る旅、いざ開始!!
① 成田山
まずやってきたのは成田山。交通安全祈願ならココ!という方も多いのではないでしょうか?

山の中腹という立地から、本島東海岸の眺めは最高。
参拝当日は12月も半ばということで、参拝者は私たちと、親子連れと・・・そして、堂内の二人組の女性。
参拝を済ませ、お守り売り場で御朱印の件を切り出すと、
「これから御祈願が始まりますので、20分ほどお待ちください」
とのこと。御祈願ってどんなふうにされるんでしょうか?せっかくなので、御朱印帳を渡してその場に留まることに。
御本尊の前で執り行われる御祈願。紫の袈裟を着た住職が御本尊に向かって念仏を唱え、もう一人のお坊さんが隣で太鼓を叩きます。お坊さんの堂内に轟くような力強い声は、私すらもその場から追い出さんばかりの念がこもっているようで、圧倒されてしまいます。力強い読経の締めには、御祈願を受けている女性を幣のようなもので祓い、終了。
驚いたことに、祈願後の講話では住職さんまるで仏のような優しい声色で、同じ人物とは思えません。お寺のなんたるかを垣間見た気がしました。
御祈願が終わると、太鼓を叩いていた方が御朱印帳を受け取り、さらさらと筆を進めていきます。御朱印をしたためる姿は美しいと思うのですが、写真撮影はNGです。
さて、まずは一つ目の御朱印をゲット!

一目見て、その力強さにびっくり。まさに、動かざる心、それは安定感と安心感と言えるでしょう。(後ほど調べてみると、成田山は不動明王が御本尊とのこと。なるほど、成田山の御仏の心が御朱印だったんですね~。)
幸先いいです、このまま次行っちゃいましょう!
② 金武観音堂
お次やってきたのは金武町にある、金武観音堂。

金武まで来ることになるとは。

境内は、緑に囲まれた日本のお寺らしさに、沖縄の植生が加わり、独特で美しい雰囲気があります。沖縄で生まれ育った人はピンとこないかもしれませんが、植物が縦横自由な感じで伸びているのは沖縄の寺社らしさなのかもしれませんね。

立派な本堂があります。参拝し、御朱印がいただけないか人を探してみましょう。

「すみませ~ん、どなたかいらっしゃいませんか?」

「すみませ~~~ん!!!」

「・・・ごしゅいん・・・」
本堂も立派で納骨のための建物まであるのですが、お寺の関係者らしき人の影も形も見えません。那覇から金武まで来たんですが・・・。

あ、おみくじ20円って!そういえば小さかった頃、地元のおみくじは20円だったよなぁと思いつつ、せっかくなので引いてみました。
「・・・。」
お告げは非常に手厳しく、一言でまとめると、「何をしてもダメ」。がっくりうなだれましたが、今年もあと10日だから、よしとしましょう。
とりあえず、この様子では御朱印があるのかないのか分かりませんが、いただけないのは事実です。
諦めて、すぐ近くにあるという金武宮に行ってみましょう!
③ 金武宮

えっ!?
すみません、突然のことに驚いた方もいるかもしれませんが、それは私の方です。これが、金武宮なのです!!
少し、時間を巻き戻します。
地図ではこのすぐ近くに金武宮があるとのことだったので、境内周辺を必死で探したのですが、それらしきものは微塵も見かけられません。
諦めて近くの酒蔵で話をうかがったところ、観音堂境内の右手が入り口とのこと。境内の右手って・・・

先ほどの境内の写真。つまり、ここに金武宮の入り口が写っているということです。
半信半疑で歩を進めて見ると・・・

あった。完全に庭の一部と化して案内板もないので見逃して当然ですね。
中を覗いてみると、

発掘現場かなんかでしょうか?

でろ~んと育った鍾乳石。まるで溶けかけのエイリアン。

ほの暗い洞内での大笑いは、むしろ不気味さの演出にしか受け取れない・・。

ここ金武宮は、金武鍾乳洞と一体になっているようです。洞窟自体が社殿ということですね。恐らく御本尊は、一枚目の写真だと思うのですが、確信は持てません。
さて、金武宮についてですが。
こちらは琉球八社の中でも毛色を異にする存在で、八社のうち唯一神職が置かれておらず、王府からの支援もなし、代わりに金武観音堂の住職さんが代々経営してきたようです。
王府の支援がないとは言え、まぎれもなく琉球八社の一角である金武宮。人の信仰心は、立派な社という物理的なものでは量れないことを、よく表しているとも言えそうですね。
④ 安慶名神社
金武まで足を延ばしたのに空振り・・・これは南下途中でどこか見つけたい!
そう考えて地図を広げ、目に飛び込んできたのはうるま市、安慶名神社。場所は安慶名城跡のすぐ近くと、急ぎ向かってみました。
さて、地図にもカーナビにも明記されている安慶名神社ですが・・・

指し示す場所は、ただの草むら。
・・・本当に、何もないのです。神社が潰れて更地になったなんてついぞ聞いたことがありません。
周囲を必死で散策するも、どうにもこうにもそれらしきものが見当たりません。自分たちだけでは限界があるので、布団を干していた住民の方に声をかけてみました。
牧「あの、安慶名神社ってどこにあるんでしょうか?」
住民「あい、あそこの家具屋の向かいと、はす向かいでセットになってるさ~。何かあった時に報告に行く場所だから、観光客が見て楽しいものじゃないよ。」
ありがとうございます。さて、教えの通りに視線を動かしてみましょう。
まずは、家具屋。

ズケ山家具店。めっちゃ気になる雰囲気。
こちらのはす向かいは、

安慶名祝女殿内。
うん、それっぽい感じ。でも地図が示しているのはこちらではありません。
そして、家具屋の向かいはと言うと・・・

・・・。
先ほどの荒地に間違いありません。地図の場所です。友達が異様に不安がってるのですが、不安なのは記事にしないといけない私の方です。
御朱印どころか、社も、人の姿も、何かしらの痕跡すらありません。金武宮の流れを断ち切ろうと勇んでやってきたのに、しっかり引きずってしまいました。
しょうがないので、荒れ放題の空き地の真ん中で記念撮影でもしよう。

・・・。

あっ!

なんか、あった。

荒地の一角、鬱蒼とした茂みに囲まれたガジュマル。その根元に、小さな御嶽がひっそりと佇んでいました。これが、捜し求めていた神社だったのです。「安慶名神社は、確かに存在した。」
お祀りされているのはヒヌカンのようですね。
沖縄全島では、御嶽が2,300ほどあると聞いたことがあります。きっと沖縄の随所にあるこういった小さな御嶽は、一般の人の目には触れないけれど、地元の人たちから信仰を集め、皆の気持ちを繋げる役目を果たしているんでしょうね。
しかしですよ。

道路地図、カーナビ、そしてこのヤフー地図。大切な神社なんでしょうけど、これだけ物理的に小さくて、ハイパーローカルな存在を地図に載せる重要性が、私にはよく分かりません。思わず、私以外の全国の御朱印ハンターが、この驚愕の事実を目の当たりにした過去について考えを巡らせてしまいました。
よし・・・気を取り直して次だ!
⑤ 普天満宮
うるま市から車を走らせて、やってきたのは中部随一の神社、普天満宮。無論、琉球八社の一つです。

周囲と同化する鳥居の図。

そういえば道路でも見かける普天満宮洞穴は、一体どこに?後で探しますか。

短期間で何度もやると、清めの儀式もさすがに手馴れたもんですよ。

木のぬくもりを全面に感じる拝殿。普天満宮は、随所が木造。

御神体は、鏡。今日は親子連れが多いのですが、遅い七五三の御祈願かと。

天女の太鼓!間違ってお顔を叩かれることは・・・ないよね。

目指すのは、海賊王じゃなくて総理大臣かな。

多分この人の国に、『二兎追うものは一兎をも得ず』という言葉はない。
窓口の巫女さんに御朱印の有無を尋ねると、15~20分待って欲しいとのこと。

御朱印帳を預けて、普天満宮洞穴探索の旅に出ましょう。

この地図を見ても、洞穴の場所は記されていません。この敷地内にあることに間違いはないのですが。とりあえず、よく茂ってそうなとこに行ってみますか。

ここ普天満宮の敷地内の下には、川が流れているそうです。参拝者のために平地になっているのかもしれません。

この下から、清い水音が聞こえてきます。

私「絶対あの扉の向こうが普天満宮洞穴だって!」
友「落ち着け、絶対、違う。」
角度を変えて見てみたのですが、どうやら私の『絶対』はアテにならなさそうです。
しかし、

廃材置き場のすぐ上に、気になる場所を発見。鉄格子の扉と、その下にぽっかり口を開けた闇が見えます。回り込んでみると・・・

あ、これっぽい。というか、これしかない!
扉を触ってみましたが、当然施錠されてて先には進めません。御朱印ゲットなるも、洞窟ゲットならず。
(後で調べてみると、社務所の巫女さんに声をかければ入れるそうです。やられた。。)
そういえば御朱印帳を預けて随分時間が経ってしまいました。慌てて社務所に戻ります。

なんか緊張して、表彰状授与状態。

記念撮影しとこう。
それでは・・・

文字はもちろん綺麗なのですが、それ以上特筆できる感想が思い浮かばないのが辛いところです。お時間と労力をいただき、まことにありがとうございます。
よし、中部では特に行きたい寺社もないので、一気に那覇まで戻ります!
というわけで、その2に続く!
御朱印とは、参拝の証として寺社でいただける、平たく言うと昔のスタンプラリーのようなものです。
こちらが御朱印帳なるもの。厚紙が蛇腹状に綴じられており、宮司さんや巫女さんに直接書いていただきます。スタンプラリーとは言いましたが、大きく違うところは『神様仏様の分身』と見なされている点です。なので粗末に扱ってはいけません。
御朱印代は、基本的に300円。
それでは御朱印をいくつか紹介しましょう。
人生初御朱印、平等院鳳凰堂。
銀閣寺こと、慈照寺。
世界遺産、京都宇治上神社。こういった特殊なものもある。500円。
御朱印は本来、参拝者が写経を納めた際にいただく印。単に、寺社に行って即書いていただけるものではありません。御朱印をいただく際には、最低限参拝するくらいの気持ちを持たないといけません。
ところで私の御朱印帳には、京都の御朱印しかありません。沖縄にだって寺社はあるんだから、沖縄の御朱印を集めつつ、沖縄の寺社について少し学んでみようかな?
沖縄には、琉球王国時代に王府から支援を受けて繁栄した、『琉球八社』という特別な八つの神社があります。波上宮、沖宮、識名宮、末吉宮、天久宮、安里八幡宮、普天満宮、金武宮がその八社。
これらは熊野権現という三柱の神(イザナミ、ハヤタマヲ、コトサカヲ)を祀るとともに、それぞれの神社ごとに祀っている神様もいるそうです。
うん、由緒正しい神社なら、御朱印ありそうだね。であれば、琉球八社を中心に、有名な寺社を巡ればたくさんの御朱印をゲットできるのでは!?
というわけで、沖縄の寺社を巡る旅、いざ開始!!
① 成田山
まずやってきたのは成田山。交通安全祈願ならココ!という方も多いのではないでしょうか?
山の中腹という立地から、本島東海岸の眺めは最高。
参拝当日は12月も半ばということで、参拝者は私たちと、親子連れと・・・そして、堂内の二人組の女性。
参拝を済ませ、お守り売り場で御朱印の件を切り出すと、
「これから御祈願が始まりますので、20分ほどお待ちください」
とのこと。御祈願ってどんなふうにされるんでしょうか?せっかくなので、御朱印帳を渡してその場に留まることに。
御本尊の前で執り行われる御祈願。紫の袈裟を着た住職が御本尊に向かって念仏を唱え、もう一人のお坊さんが隣で太鼓を叩きます。お坊さんの堂内に轟くような力強い声は、私すらもその場から追い出さんばかりの念がこもっているようで、圧倒されてしまいます。力強い読経の締めには、御祈願を受けている女性を幣のようなもので祓い、終了。
驚いたことに、祈願後の講話では住職さんまるで仏のような優しい声色で、同じ人物とは思えません。お寺のなんたるかを垣間見た気がしました。
御祈願が終わると、太鼓を叩いていた方が御朱印帳を受け取り、さらさらと筆を進めていきます。御朱印をしたためる姿は美しいと思うのですが、写真撮影はNGです。
さて、まずは一つ目の御朱印をゲット!
一目見て、その力強さにびっくり。まさに、動かざる心、それは安定感と安心感と言えるでしょう。(後ほど調べてみると、成田山は不動明王が御本尊とのこと。なるほど、成田山の御仏の心が御朱印だったんですね~。)
幸先いいです、このまま次行っちゃいましょう!
② 金武観音堂
お次やってきたのは金武町にある、金武観音堂。
金武まで来ることになるとは。
境内は、緑に囲まれた日本のお寺らしさに、沖縄の植生が加わり、独特で美しい雰囲気があります。沖縄で生まれ育った人はピンとこないかもしれませんが、植物が縦横自由な感じで伸びているのは沖縄の寺社らしさなのかもしれませんね。
立派な本堂があります。参拝し、御朱印がいただけないか人を探してみましょう。
「すみませ~ん、どなたかいらっしゃいませんか?」
「すみませ~~~ん!!!」
「・・・ごしゅいん・・・」
本堂も立派で納骨のための建物まであるのですが、お寺の関係者らしき人の影も形も見えません。那覇から金武まで来たんですが・・・。
あ、おみくじ20円って!そういえば小さかった頃、地元のおみくじは20円だったよなぁと思いつつ、せっかくなので引いてみました。
「・・・。」
お告げは非常に手厳しく、一言でまとめると、「何をしてもダメ」。がっくりうなだれましたが、今年もあと10日だから、よしとしましょう。
とりあえず、この様子では御朱印があるのかないのか分かりませんが、いただけないのは事実です。
諦めて、すぐ近くにあるという金武宮に行ってみましょう!
③ 金武宮
えっ!?
すみません、突然のことに驚いた方もいるかもしれませんが、それは私の方です。これが、金武宮なのです!!
少し、時間を巻き戻します。
地図ではこのすぐ近くに金武宮があるとのことだったので、境内周辺を必死で探したのですが、それらしきものは微塵も見かけられません。
諦めて近くの酒蔵で話をうかがったところ、観音堂境内の右手が入り口とのこと。境内の右手って・・・
先ほどの境内の写真。つまり、ここに金武宮の入り口が写っているということです。
半信半疑で歩を進めて見ると・・・
あった。完全に庭の一部と化して案内板もないので見逃して当然ですね。
中を覗いてみると、
発掘現場かなんかでしょうか?
でろ~んと育った鍾乳石。まるで溶けかけのエイリアン。
ほの暗い洞内での大笑いは、むしろ不気味さの演出にしか受け取れない・・。
ここ金武宮は、金武鍾乳洞と一体になっているようです。洞窟自体が社殿ということですね。恐らく御本尊は、一枚目の写真だと思うのですが、確信は持てません。
さて、金武宮についてですが。
こちらは琉球八社の中でも毛色を異にする存在で、八社のうち唯一神職が置かれておらず、王府からの支援もなし、代わりに金武観音堂の住職さんが代々経営してきたようです。
王府の支援がないとは言え、まぎれもなく琉球八社の一角である金武宮。人の信仰心は、立派な社という物理的なものでは量れないことを、よく表しているとも言えそうですね。
④ 安慶名神社
金武まで足を延ばしたのに空振り・・・これは南下途中でどこか見つけたい!
そう考えて地図を広げ、目に飛び込んできたのはうるま市、安慶名神社。場所は安慶名城跡のすぐ近くと、急ぎ向かってみました。
さて、地図にもカーナビにも明記されている安慶名神社ですが・・・
指し示す場所は、ただの草むら。
・・・本当に、何もないのです。神社が潰れて更地になったなんてついぞ聞いたことがありません。
周囲を必死で散策するも、どうにもこうにもそれらしきものが見当たりません。自分たちだけでは限界があるので、布団を干していた住民の方に声をかけてみました。
牧「あの、安慶名神社ってどこにあるんでしょうか?」
住民「あい、あそこの家具屋の向かいと、はす向かいでセットになってるさ~。何かあった時に報告に行く場所だから、観光客が見て楽しいものじゃないよ。」
ありがとうございます。さて、教えの通りに視線を動かしてみましょう。
まずは、家具屋。
ズケ山家具店。めっちゃ気になる雰囲気。
こちらのはす向かいは、
安慶名祝女殿内。
うん、それっぽい感じ。でも地図が示しているのはこちらではありません。
そして、家具屋の向かいはと言うと・・・
・・・。
先ほどの荒地に間違いありません。地図の場所です。友達が異様に不安がってるのですが、不安なのは記事にしないといけない私の方です。
御朱印どころか、社も、人の姿も、何かしらの痕跡すらありません。金武宮の流れを断ち切ろうと勇んでやってきたのに、しっかり引きずってしまいました。
しょうがないので、荒れ放題の空き地の真ん中で記念撮影でもしよう。
・・・。
あっ!
なんか、あった。
荒地の一角、鬱蒼とした茂みに囲まれたガジュマル。その根元に、小さな御嶽がひっそりと佇んでいました。これが、捜し求めていた神社だったのです。「安慶名神社は、確かに存在した。」
お祀りされているのはヒヌカンのようですね。
沖縄全島では、御嶽が2,300ほどあると聞いたことがあります。きっと沖縄の随所にあるこういった小さな御嶽は、一般の人の目には触れないけれど、地元の人たちから信仰を集め、皆の気持ちを繋げる役目を果たしているんでしょうね。
しかしですよ。
道路地図、カーナビ、そしてこのヤフー地図。大切な神社なんでしょうけど、これだけ物理的に小さくて、ハイパーローカルな存在を地図に載せる重要性が、私にはよく分かりません。思わず、私以外の全国の御朱印ハンターが、この驚愕の事実を目の当たりにした過去について考えを巡らせてしまいました。
よし・・・気を取り直して次だ!
⑤ 普天満宮
うるま市から車を走らせて、やってきたのは中部随一の神社、普天満宮。無論、琉球八社の一つです。
周囲と同化する鳥居の図。
そういえば道路でも見かける普天満宮洞穴は、一体どこに?後で探しますか。
短期間で何度もやると、清めの儀式もさすがに手馴れたもんですよ。
木のぬくもりを全面に感じる拝殿。普天満宮は、随所が木造。
御神体は、鏡。今日は親子連れが多いのですが、遅い七五三の御祈願かと。
天女の太鼓!間違ってお顔を叩かれることは・・・ないよね。
目指すのは、海賊王じゃなくて総理大臣かな。
多分この人の国に、『二兎追うものは一兎をも得ず』という言葉はない。
窓口の巫女さんに御朱印の有無を尋ねると、15~20分待って欲しいとのこと。
御朱印帳を預けて、普天満宮洞穴探索の旅に出ましょう。
この地図を見ても、洞穴の場所は記されていません。この敷地内にあることに間違いはないのですが。とりあえず、よく茂ってそうなとこに行ってみますか。
ここ普天満宮の敷地内の下には、川が流れているそうです。参拝者のために平地になっているのかもしれません。
この下から、清い水音が聞こえてきます。
私「絶対あの扉の向こうが普天満宮洞穴だって!」
友「落ち着け、絶対、違う。」
角度を変えて見てみたのですが、どうやら私の『絶対』はアテにならなさそうです。
しかし、
廃材置き場のすぐ上に、気になる場所を発見。鉄格子の扉と、その下にぽっかり口を開けた闇が見えます。回り込んでみると・・・
あ、これっぽい。というか、これしかない!
扉を触ってみましたが、当然施錠されてて先には進めません。御朱印ゲットなるも、洞窟ゲットならず。
(後で調べてみると、社務所の巫女さんに声をかければ入れるそうです。やられた。。)
そういえば御朱印帳を預けて随分時間が経ってしまいました。慌てて社務所に戻ります。
なんか緊張して、表彰状授与状態。
記念撮影しとこう。
それでは・・・
文字はもちろん綺麗なのですが、それ以上特筆できる感想が思い浮かばないのが辛いところです。お時間と労力をいただき、まことにありがとうございます。
よし、中部では特に行きたい寺社もないので、一気に那覇まで戻ります!
というわけで、その2に続く!
Posted by 牧 at 00:00│Comments(4)
│バカルチャー
この記事へのコメント
普天満宮の写真にある大祓、一昨年の大晦日に宜野湾の友人に誘われて参加してきましたよ。
たった30分くらいの神事でしたが、大勢の人たち(たぶんみんな宜野湾の人)が集まっていて、こんな所に観光客が来ていいのかなぁと思いましたね。
たった30分くらいの神事でしたが、大勢の人たち(たぶんみんな宜野湾の人)が集まっていて、こんな所に観光客が来ていいのかなぁと思いましたね。
Posted by しもちゃん at 2014年03月01日 15:09
>しもちゃん
伝統行事もそうですけど、やはり人がこないと伝統として残っていかなくなってしまいますからね。地元も観光客の別もなく、行けるものは興味さえあれば行ってみるべきだと思いますよ!
私なんか識名宮の40年ぶりのお引越しにかち合いましたしね(笑
伝統行事もそうですけど、やはり人がこないと伝統として残っていかなくなってしまいますからね。地元も観光客の別もなく、行けるものは興味さえあれば行ってみるべきだと思いますよ!
私なんか識名宮の40年ぶりのお引越しにかち合いましたしね(笑
Posted by 牧
at 2014年03月01日 16:43

古い記事にコメント失礼します。
安慶名の神社は数年前まで小さな鳥居とお社もあったのですが、いつの間にか取り壊されて無くなってました。
安慶名の神社は数年前まで小さな鳥居とお社もあったのですが、いつの間にか取り壊されて無くなってました。
Posted by 安慶名の民 at 2016年12月31日 12:38
>安慶名の民さん
こんにちは、初コメありがとうございます!
そうなんですか、安慶名神社には鳥居もお社もあったんですね。これが取り壊されて原始的な御嶽のみになったのはなんだか意味深な気がするのですが・・・もしその辺りご存知であれば、是非また教えて下さいまし。。
こんにちは、初コメありがとうございます!
そうなんですか、安慶名神社には鳥居もお社もあったんですね。これが取り壊されて原始的な御嶽のみになったのはなんだか意味深な気がするのですが・・・もしその辺りご存知であれば、是非また教えて下さいまし。。
Posted by 牧
at 2017年01月05日 21:25

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