2014年04月28日
9年目の初来城、今帰仁城跡
こんにちは。
この週末はこの時季にしてはやたら風が強く、大東に行けなったのは神の思し召しだったのだと思い直すことにした牧です。
多分、自転車やってる人なら分かると思います。追い風以外の前、左右から吹く風が、いかに体力を奪うのかを、太ももの内側をいかにイジメるのかを・・・。
ランニングでも強い向かい風はややクセモノですが、自転車はその比じゃないんですよ。
この週末、吹いた風は10mを超えていたそうです。あまり体力のない私は風速5m超えると若干ためらうようになるんですが、向かい風10mとか地獄です。2日もこの風の中こぎまわってたらもうクタクタで、今頃抜け殻になってたかもしれませんね~。
この週末はこの時季にしてはやたら風が強く、大東に行けなったのは神の思し召しだったのだと思い直すことにした牧です。
多分、自転車やってる人なら分かると思います。追い風以外の前、左右から吹く風が、いかに体力を奪うのかを、太ももの内側をいかにイジメるのかを・・・。
ランニングでも強い向かい風はややクセモノですが、自転車はその比じゃないんですよ。
この週末、吹いた風は10mを超えていたそうです。あまり体力のない私は風速5m超えると若干ためらうようになるんですが、向かい風10mとか地獄です。2日もこの風の中こぎまわってたらもうクタクタで、今頃抜け殻になってたかもしれませんね~。
さて、金曜日は突然の出来事に意気消沈した私も、ポッカリ空いてしまった土日を何とか埋めようと、即レンタカーを予約して、母親の日程を押さえました。
この週末はGWの走りということもあり、県内各地で様々なイベントが開かれていましたね。
26日土曜日は、JAXAの一般公開を皮切りに、名も知らぬ集落のフクギ並木に感動したりと北部を大迷走。

JAXAのシンボル、パラボナアンテナ。まるで何かのキノコの形状をしている。

羽地ダム近くの集落に迷い込んだら、思わず車を停めてしまうほどの美しいフクギ並木に出会えました。幸せ。
結局、その日の最終目的地は今帰仁城跡。と言うのも、
牧「・・・実は、まだ今帰仁城跡行ったことがない・・・。」
母「はぁ!?全く信じられんわ、もう何年住みよるの??私なんか、何回行ったことか。」
沖縄に住んで9年目。首里、中城、勝連、座喜味と一連の世界遺産指定の城跡には数回足を運んでいますが、どうにも縁のなかった今帰仁城跡。
母親にバカにされつつも、「やっと会えたね(辻●成)」ばりに初めての今帰仁城跡に行って参りました。

すでに夕方4時を回っている今帰仁城跡は、ツアーの大型バスが一台もないため人もまばらで、少し寂しげです。でも、人が多すぎると俗物色に拍車がかかるので、少ない方がいいですね。
今帰仁城跡は、まだ琉球王国が統一されていなかった13世紀に造成された城跡。沖縄に有力な王が三人立っていた、俗にいう『三山時代』の北山王の居城跡です。
1416年には中山王に滅ぼされ、1609年には薩摩侵攻により焼け落ちた悲しい歴史をもっています。
どうして中山王に攻め込まれたか?それは、『北山王が悪政をしいて、役人も民も困っておるのだな、天誅!』ということで進軍された、と。
・・・勝てば官軍、負ければ・・・ってヤツですかねぇ。
八重山のオヤケアカハチみたいに、それを覆すようなストーリーを今帰仁村の皆様がそのうち作るんじゃないかと期待しています。

ツッコミどころしかない、城の茶屋の看板。ズースってうちなーぐちでもないんじゃないですか。
母「家にある黒糖蜜のペットボトル。実はここで買ったんだよ。」
まさか、我が家にこんな怪しい店の商品があったとは。この発言に一瞬どう反応してよいのかわかりませんでした。

黒糖の蜜は放っておくと白く結晶化するということを初めて知った。母よ、もう捨てていいんじゃないか?

頂上へ続く階段の段数は、3→5→7→3→5→7→3・・・となっている。疲れにくい段数の組み合わせとして採用された構造らしいが、縁起を担いでいるとも考えられそうです。七五三とか。

石垣。ここは全て復元されたもの。
母曰く、最初に訪れた時から比べると石積みがどんどん復元されて、城跡の規模が大きくなっているとのこと。
復元個所は綺麗で大きさのそろった石が詰まれていますが、昔からある場所は石の大きさがまばらで草が繁茂しているので、すぐ気がつきます。

右側が当時からあるであろう石積み。その差、歴然。
母「初めて来たお客様には、まずこちらの風景をご紹介いたしま~~す♪」
なんだか浮かれてガイド気分な母が案内してくれたのが、こちら。

わぁ・・・・・。
ほぼ快晴の青空に、水平線と波頭に区切られた2色の海、それと生命力に溢れた初夏の緑が目に飛び込んできます。
外壁を示す白の石積みはゆるりとうねって、さながら巨大な蛇のようです。
なんて鮮やかな風景なんだろう・・・。

その左側は、崩れた過去の石積みを覆う真緑の滝。
緑からちょこちょこと岩が顔を出す様子は、荒涼としたカルスト地形を彷彿とさせます。
・・・確かに、滅びた場所なんだなぁ・・・。
思わず口ずさんだのは、『荒城の月』でした。まだ三十路前半なのに・・・。

なぜかここだけ書きぶりが馴れ馴れしい。せっかくなので乗せられてみましょう。

もうちょっと左に寄れれば・・・。
伝わりづらいのですが、『ここオススメ』の足元は、前も左も崖っぷち。
オススメの風景をよく見ようと思うと、できるだけ前かつ左に移動する必要があります。足元の注意を怠ると、あっという間に崖下に転落しそうです。
この看板・・・まるで優しい言葉で人を死に誘う悪魔のようだ・・・!
狙っているのか?今帰仁村。
今帰仁城跡は、薩摩侵略で大破した後は御嶽がたくさん祀られ、聖地と化したとのこと。
なるほど、

木の根元の小さな御嶽。沖縄の民は大きな木の根元を御嶽とするのを常としていたようです。

ヒヌカン。燃やされた城跡に祀られる火の神。複雑な気分・・・。
写真に撮っていたのはこの2枚だけですが、他にも小さな小さな御嶽がちょくちょく見られました。

一度頂上に上ったら、発掘現場へ下りましょう。

この辺りは私が生まれた頃にはすでに発掘作業が終わって、かつての住居、生活模様等々が明らかになっていたのですが・・・

城の東側は4つの居住地があったらしい。6畳ほどの広さで1家族住んでいたようだ。永遠に存在するんでしょうね、貧富の差。
母「前に来た時はこんな杭なかったよ?」
保存と来場者への視覚化のための作業は、かな~~~りゆっくりのようですね。世界遺産にあぐらかいているのか、そもそもやる気がないのか!?

あまり目につかない場所に、薄く油膜の張った、汚い水たまりがあった。地面が湿ってもいないのに、なぜここだけ??

『カラウカー』と呼ばれているらしいが・・・。
説明を読みましょう。
「常時水をたたえている場所で、かつて女官たちが髪を洗ったり水量で吉凶を占ったりした場所と伝えられています。」
この、薄汚く、油膜の張った水で御髪を洗っておったと・・・。
・・・う~ん・・・。あなたなら、何日髪が洗えない状態が続いたらこの水で髪を洗おうと決断するでしょうか。

最初に上った357階段は新道で、こちらは旧道。
これ、道なの??城壁の一部が崩れた場所を歩いているような気さえします。
でも、よ~~~~く足元を見てみると、長年の摩擦にさらされてテカテカと光っている個所が数多くあるのです。これぞ、道として多くの人に通られた証!
・・・それでも私は道として認めたくは、ない。

だいぶ日が長くなってきましたね。
私はもう少しゆっくり回りたかったのですが、せっかちな母が「今から帰っても7時になる!早く!!」と急かすので、初めての今帰仁城跡は残念ながら満足に堪能することはできませんでした。また来よう・・・次は絶対、別の人と。
さて、この日をもって世界遺産である『琉球王国のグスク及び関連遺産群』のうち、5つのグスクは全て制覇したことになりました。
5つのうち、一つ人に勧めるならば、ここ今帰仁城跡ですね。
石積みの形状や構造、スケールの大きさ、歴史を偲ばせる面影、そして頂上から見られる海と緑の景色。全て高評価!
観光客が個人で旅行に来ると、北部は美ら海水族館だけで十分時間を費やしてしまうんですが、ここも是非選択肢に加えていただきたい!
俗物すぎる首里城より、自然と一体化しているような吹きっさらしの今帰仁城跡の方がよほど風情があります。
ただし、

右から左へと、風速10m超えに煽られる草木。
風の強い日はモロに影響が出ますし、逃げ場所はありません。
くれぐれも、天気のよい、風の強くない日にいらしてくださいまし。
この週末はGWの走りということもあり、県内各地で様々なイベントが開かれていましたね。
26日土曜日は、JAXAの一般公開を皮切りに、名も知らぬ集落のフクギ並木に感動したりと北部を大迷走。
JAXAのシンボル、パラボナアンテナ。まるで何かのキノコの形状をしている。
羽地ダム近くの集落に迷い込んだら、思わず車を停めてしまうほどの美しいフクギ並木に出会えました。幸せ。
結局、その日の最終目的地は今帰仁城跡。と言うのも、
牧「・・・実は、まだ今帰仁城跡行ったことがない・・・。」
母「はぁ!?全く信じられんわ、もう何年住みよるの??私なんか、何回行ったことか。」
沖縄に住んで9年目。首里、中城、勝連、座喜味と一連の世界遺産指定の城跡には数回足を運んでいますが、どうにも縁のなかった今帰仁城跡。
母親にバカにされつつも、「やっと会えたね(辻●成)」ばりに初めての今帰仁城跡に行って参りました。
すでに夕方4時を回っている今帰仁城跡は、ツアーの大型バスが一台もないため人もまばらで、少し寂しげです。でも、人が多すぎると俗物色に拍車がかかるので、少ない方がいいですね。
今帰仁城跡は、まだ琉球王国が統一されていなかった13世紀に造成された城跡。沖縄に有力な王が三人立っていた、俗にいう『三山時代』の北山王の居城跡です。
1416年には中山王に滅ぼされ、1609年には薩摩侵攻により焼け落ちた悲しい歴史をもっています。
どうして中山王に攻め込まれたか?それは、『北山王が悪政をしいて、役人も民も困っておるのだな、天誅!』ということで進軍された、と。
・・・勝てば官軍、負ければ・・・ってヤツですかねぇ。
八重山のオヤケアカハチみたいに、それを覆すようなストーリーを今帰仁村の皆様がそのうち作るんじゃないかと期待しています。
ツッコミどころしかない、城の茶屋の看板。ズースってうちなーぐちでもないんじゃないですか。
母「家にある黒糖蜜のペットボトル。実はここで買ったんだよ。」
まさか、我が家に

黒糖の蜜は放っておくと白く結晶化するということを初めて知った。母よ、もう捨てていいんじゃないか?
頂上へ続く階段の段数は、3→5→7→3→5→7→3・・・となっている。疲れにくい段数の組み合わせとして採用された構造らしいが、縁起を担いでいるとも考えられそうです。七五三とか。
石垣。ここは全て復元されたもの。
母曰く、最初に訪れた時から比べると石積みがどんどん復元されて、城跡の規模が大きくなっているとのこと。
復元個所は綺麗で大きさのそろった石が詰まれていますが、昔からある場所は石の大きさがまばらで草が繁茂しているので、すぐ気がつきます。
右側が当時からあるであろう石積み。その差、歴然。
母「初めて来たお客様には、まずこちらの風景をご紹介いたしま~~す♪」
なんだか浮かれてガイド気分な母が案内してくれたのが、こちら。
わぁ・・・・・。
ほぼ快晴の青空に、水平線と波頭に区切られた2色の海、それと生命力に溢れた初夏の緑が目に飛び込んできます。
外壁を示す白の石積みはゆるりとうねって、さながら巨大な蛇のようです。
なんて鮮やかな風景なんだろう・・・。
その左側は、崩れた過去の石積みを覆う真緑の滝。
緑からちょこちょこと岩が顔を出す様子は、荒涼としたカルスト地形を彷彿とさせます。
・・・確かに、滅びた場所なんだなぁ・・・。
思わず口ずさんだのは、『荒城の月』でした。まだ三十路前半なのに・・・。

なぜかここだけ書きぶりが馴れ馴れしい。せっかくなので乗せられてみましょう。
もうちょっと左に寄れれば・・・。
伝わりづらいのですが、『ここオススメ』の足元は、前も左も崖っぷち。
オススメの風景をよく見ようと思うと、できるだけ前かつ左に移動する必要があります。足元の注意を怠ると、あっという間に崖下に転落しそうです。
この看板・・・まるで優しい言葉で人を死に誘う悪魔のようだ・・・!
狙っているのか?今帰仁村。
今帰仁城跡は、薩摩侵略で大破した後は御嶽がたくさん祀られ、聖地と化したとのこと。
なるほど、
木の根元の小さな御嶽。沖縄の民は大きな木の根元を御嶽とするのを常としていたようです。
ヒヌカン。燃やされた城跡に祀られる火の神。複雑な気分・・・。
写真に撮っていたのはこの2枚だけですが、他にも小さな小さな御嶽がちょくちょく見られました。
一度頂上に上ったら、発掘現場へ下りましょう。
この辺りは私が生まれた頃にはすでに発掘作業が終わって、かつての住居、生活模様等々が明らかになっていたのですが・・・
城の東側は4つの居住地があったらしい。6畳ほどの広さで1家族住んでいたようだ。永遠に存在するんでしょうね、貧富の差。
母「前に来た時はこんな杭なかったよ?」
保存と来場者への視覚化のための作業は、かな~~~りゆっくりのようですね。世界遺産にあぐらかいているのか、そもそもやる気がないのか!?
あまり目につかない場所に、薄く油膜の張った、汚い水たまりがあった。地面が湿ってもいないのに、なぜここだけ??
『カラウカー』と呼ばれているらしいが・・・。
説明を読みましょう。
「常時水をたたえている場所で、かつて女官たちが髪を洗ったり水量で吉凶を占ったりした場所と伝えられています。」
この、薄汚く、油膜の張った水で御髪を洗っておったと・・・。
・・・う~ん・・・。あなたなら、何日髪が洗えない状態が続いたらこの水で髪を洗おうと決断するでしょうか。
最初に上った357階段は新道で、こちらは旧道。
これ、道なの??城壁の一部が崩れた場所を歩いているような気さえします。
でも、よ~~~~く足元を見てみると、長年の摩擦にさらされてテカテカと光っている個所が数多くあるのです。これぞ、道として多くの人に通られた証!
・・・それでも私は道として認めたくは、ない。
だいぶ日が長くなってきましたね。
私はもう少しゆっくり回りたかったのですが、せっかちな母が「今から帰っても7時になる!早く!!」と急かすので、初めての今帰仁城跡は残念ながら満足に堪能することはできませんでした。また来よう・・・次は絶対、別の人と。
さて、この日をもって世界遺産である『琉球王国のグスク及び関連遺産群』のうち、5つのグスクは全て制覇したことになりました。
5つのうち、一つ人に勧めるならば、ここ今帰仁城跡ですね。
石積みの形状や構造、スケールの大きさ、歴史を偲ばせる面影、そして頂上から見られる海と緑の景色。全て高評価!
観光客が個人で旅行に来ると、北部は美ら海水族館だけで十分時間を費やしてしまうんですが、ここも是非選択肢に加えていただきたい!
俗物すぎる首里城より、自然と一体化しているような吹きっさらしの今帰仁城跡の方がよほど風情があります。
ただし、
右から左へと、風速10m超えに煽られる草木。
風の強い日はモロに影響が出ますし、逃げ場所はありません。
くれぐれも、天気のよい、風の強くない日にいらしてくださいまし。
Posted by 牧 at 00:09│Comments(6)
│バカルチャー
この記事へのコメント
なるほどー。歴史に疎い私にとってはタメになりますねぇ。
私が行った時にも、頂上の御嶽でお参りしている、たくさんのオバァがいらしたんですが、邪魔しちゃわるいと、話を訊けなかったんですね。
受付の人に訊いたところ、王様(たぶん北山王) の月命日とかでお参りしていたそうです。
黒蜜のペットボトル、うちの冷蔵庫のも見事に結晶化しています。
しかし、なぜにバックが羽生くんなのか・・・(⌒-⌒; )
私が行った時にも、頂上の御嶽でお参りしている、たくさんのオバァがいらしたんですが、邪魔しちゃわるいと、話を訊けなかったんですね。
受付の人に訊いたところ、王様(たぶん北山王) の月命日とかでお参りしていたそうです。
黒蜜のペットボトル、うちの冷蔵庫のも見事に結晶化しています。
しかし、なぜにバックが羽生くんなのか・・・(⌒-⌒; )
Posted by しもちゃん at 2014年04月29日 10:57
>しもちゃんさん
月命日にお参りなんて、地元の方はずっと北山王を信仰してきたんでしょうね。そう考えても中山王の侵攻はやはり口実だった可能性が・・・。
黒蜜、買ったんですか?さすが物好きですねぇ(笑
羽生くんは、スクリーンセーバーですよ!
とりあえず言わせてください。私は最近のニワカじゃなくて3年前からです。
月命日にお参りなんて、地元の方はずっと北山王を信仰してきたんでしょうね。そう考えても中山王の侵攻はやはり口実だった可能性が・・・。
黒蜜、買ったんですか?さすが物好きですねぇ(笑
羽生くんは、スクリーンセーバーですよ!
とりあえず言わせてください。私は最近のニワカじゃなくて3年前からです。
Posted by 牧
at 2014年04月29日 11:24

「ズース」はいいね!
なにしろコーヒー「シャープ」ですから
リアル優先でしょうと思います。
カワウソ
なにしろコーヒー「シャープ」ですから
リアル優先でしょうと思います。
カワウソ
Posted by カワウソ at 2014年05月05日 23:29
>カワウソさん
初めまして、コメントありがとうございます^^
ズースの攻撃力は結構なものですよ!
そんな世代の方が経営されていらっしゃるということなんでしょうが、どうにもその下の世代には笑いの標的になってしまいますね・・・。
初めまして、コメントありがとうございます^^
ズースの攻撃力は結構なものですよ!
そんな世代の方が経営されていらっしゃるということなんでしょうが、どうにもその下の世代には笑いの標的になってしまいますね・・・。
Posted by 牧
at 2014年05月06日 23:39

今帰仁も良いけど、私は景色と城壁、現代版組踊「肝高のあまわり」の関係で勝連が一番好きです!
Posted by じうゆ at 2016年08月14日 23:12
>じうゆさん
「肝高のあまわり」、コレ一度でいいから見てみたいと思いつつ、まだ見ることができていないんですよ。きっとこれ見たら勝連城跡の見方も変わるんでしょうね。歴史的には、主にアマワリって悪役で通ってますからね~^^;
「肝高のあまわり」、コレ一度でいいから見てみたいと思いつつ、まだ見ることができていないんですよ。きっとこれ見たら勝連城跡の見方も変わるんでしょうね。歴史的には、主にアマワリって悪役で通ってますからね~^^;
Posted by 牧
at 2016年08月14日 23:26

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