2014年01月14日
那覇ベイエリアの昔と今を見つめて ~那覇みなとま~い前編~
12月に差し掛かり、世間が寒波だのなんだのと騒ぎ始めたある日。毎週木曜日、新聞についてくる情報誌にこんな広告が載っていました。
「那覇みなとま~い&オルカ号海中見学会(参加無料)」
あ、まちま~いの海版だ(先日、まちま~いに参加した際の記事はこちら)。
コースを見ていると、普段あまり行ったことのない場所がけっこう盛り込まれています。うん、おもしろいんじゃない?
葉書での申し込みだったので、期待せずに投函し、もう存在を忘れかけていた年の暮れ。
「那覇みなとま~い&オルカ号海中見学会(参加無料)」
あ、まちま~いの海版だ(先日、まちま~いに参加した際の記事はこちら)。
コースを見ていると、普段あまり行ったことのない場所がけっこう盛り込まれています。うん、おもしろいんじゃない?
葉書での申し込みだったので、期待せずに投函し、もう存在を忘れかけていた年の暮れ。
「当選しました」
かかってきた1本の電話に小踊り。おぉ、ラッキー。
そんなわけで、1月3連休の最終日、那覇みなとまーいに参加です!
1月13日(月)
当日は生憎の雨。前日は太陽がさんさんと降り注ぎ、寒波に苦しむ内地が死ぬほど羨ましがるような気候だっただけに、朝7時に起きた時のテンションが急降下。
同行する母親も、
「中止の電話がきたらすぐ出られるようにしておきなさい」
と、出発ぎりぎりまで着替えないという後ろ向きの姿勢。そして私は連日の睡眠不足と前夜のランニング疲労で、今にもベッドに沈む勢い。
当然電話はきません。ベッドの誘惑を振り切り、意識が半ば白いまま、家を出ます。
小雨だけど外を回るとなると・・・orz
集合場所は今年5月にオープンしたうみそら公園。
ちなみにこちらはサンゴを移植した場所があります。公園の許可したインストラクターの案内でダイビングやシュノーケリングができるのですが、オープンしたての頃、何も知らず一人で泳いで管理人者4人に取り囲まれた苦い経験があります。いい大人なのに・・。
当日の参加予定者は60人。半分ずつに分かれてバスに乗り込み、いざ出発!
最初に到着したのは、
ロワジールホテル。オリエンテーションのようなものがあるらしいが、ロワジールとは。お金かけてますな~。
通路はほのかなレモングラスの香りで演出されている。
オリエンテーション、開始。
このみなとま~いは、那覇市から主催のNPO法人ナハ・シーパラダイス協議会が委託を受けた事業で、那覇のウォーターフロントに関心をもってもらうために実施されているのだそう。一括交付金の香りがするぞ。
シーパラの白石理事長曰く、今回のみなとま~いを通じて自分たちの住む街をよく理解し、他の地域の人たちとのコミュニケーションに役立てて欲しいとのこと。そういえば最近、人と話をする時に自分の住んでいる地域の話ってあまりしなくなったんじゃないでしょうか?
さて。
演壇にあがったのは、嘉数仁然さん。沖縄の歴史、文化等に造詣が深く、テレビ、ラジオ等で番組を持ったり、監修をしているのだそう。
しかし、彼は言っていました。
「自分はふざけた人間です。せっかくなので琉球文化を面白可笑しく伝えていきたいと思ってます!」
いいですね、こう言われると聞く気になれます。
講演の中で面白かったものをピックアップしていきましょう。
貝塚時代の人も、現代人も、同じ海産物を食べている。貝塚からは同じもの=美味しい貝なんかが多く出土するようです。
昔の貝塚から、沖縄の海にしかいない、イモガイやゴボウラの腕輪が遠くは青森県で発見されている!どんなルートと方法を辿っていったんだ!?
沖縄は資源がない国で、昔は海も自分たちの国という意識があったらしい。だから貿易が盛んだったのですね。
三重城だけに砲台があったが、ここだけ守ればよかった。なぜならリーフに乗り上げると、船が大破するので。結局、薩摩侵攻の際、読谷から上陸されたおかげで琉球は負けたそうですが、その後砲台が撤去されたそうです。
海からきたもの①。唐芋、石敢當、こんぶ、蘇芳(染料)、アグー、鉄砲。鉄砲は日本より100年も早かったとか。その時日本に侵攻してたら、日本に勝てたんじゃない?歴史ってタイミングだなぁ。
海からきたもの②。念仏踊り(→エイサーへ)、天妃宮、組踊、程順則、壷屋焼。焼きの技術をあげてくれたのは朝鮮人だった!
海からきたもの③。泉崎の旧ロータリーには龍がいる!風水に基づいているらしいが、これは気付かなかった。
その他、沖縄の言葉は中国の言葉が元になっているものがたくさんあるらしいです。いゆ、さんぴん、さんみん、etc・・。
短い講演の後は、いざ、街歩き!!ここからは那覇まちま~いのガイドさんの案内になります。
最初にやってきたのは・・
身近にあるけど地元の人はあまり行かない、福州園。
実はOTVとRBCがへばりついてた。
福州園は、那覇市の市制70周年および福州市との友好都市締結10周年の記念事業として、1992年に開園した中国式の庭園。なんとこの庭園を造るための材料は、土に小石から始まり全て福州市から持ってきているのだとか!徹底してるなぁ。。
中国式公民館らしい。中国の公民館は建設にお金がかかりそうだ。
黒い塔、通称『烏塔』。
白い塔、通称『白塔』。誰か、黒と白の差について!
庭内の道を飾る小石。わざわざ福州市から海を越えてやってきたのね・・。
中国では穴がたくさん空いた奇岩が珍重されたらしい。この感覚は、日本にはないよね。
干支で飾られた石橋があります。よく見ると何かがおかしいと思ったら、
ヒツジの場所にヤギが鎮座し、イノシシはブタ。ヤギはともかく、ブタ年ってやだなぁ。。
この建物の天井は・・・
宇宙の中心に据えられた菊の図。菊は百花の王と見なされ、富貴の象徴とのこと。なんだろ、あの花弁がぎゅっと詰まった感じかな?私は菊と言われたら、仏壇やお墓しか出てこないから、あまりいいイメージがない。
それにこの絵面、なんだかビオランテ思い出す。
余談ですが、中国の国花は梅。その昔、漢詩では花といえば梅が詠まれていたため、日本に漢詩が渡ってしばらく、奈良時代後半くらいまでは日本も詩の中では春の花として梅を詠んでいました。
しかし平安時代に入る頃から、梅から桜に徐々にシフト。やはり日本には、梅ではなく桜が似合うのですね。
秋のイメージで刻まれた鹿らしい。しかし沖縄にこの心は理解できるのであろうか。
(鹿の鳴き声は、秋の季語)
杯を拾い上げる李白。川に杯を浮かべ、自分のところに流れ着くまでに詩を作る遊びに興じている場面らしい。なんとも風流な・・・。
そして、李白の目の前には滝があるのですが、その裏に入ることができるらしい!
軽く洞窟探検気分で、こども大興奮。
こどもという生き物は、水に触れたがるのだよ。
福州園、以前来たことはあったのですがとっとと帰ったのであまり記憶に残っていません。しかし今回のガイドで、広さとよさを随分知りました。天気のいい日にもう一度来たいな!
ところで福州園のトイレは現在改装工事中で使えません。その理由は、あまりに汚いから、とのことなのですが・・・工事が必要なくらい再起不能の状態までそのままにしておくとか、どんなよ。那覇市、どうなのよ。
次に向かった先は・・・
孔子廟。沖縄に孔子廟があったなんて!!
こちらには孔子と、孟子等4人の優秀な彼の弟子が祀られてます。
なお、孔子廟は孔子を讃えている地域にはどこにでもあるようで、横浜、長野、群馬にもあるらしい。横浜は分かるんだけど、長野や群馬にまで廟があるなんて。でも、孔子が東洋に及ぼした影響を考えると、うなづける話ではありますね。
ただし台湾の孔子廟では、
カフェのマークにされてた。そんなんでいいのか、孔子様。
お次は福州園の道向かい、松山公園を通って・・・
袋中上人(たいちゅうしょうにん)行化碑へとやってきました。狭い場所に大人がドヤドヤ侵入していくので、
隣の那覇商の生徒たちが面白がって見下ろしていました。その様子を収めようとカメラを向けると、笑って逃走。ごめんね。
入れぬ。そして見られぬ。
ここで袋中上人について・・・
彼は1600年頃(琉球王国第二尚氏、尚寧王の時代)に琉球に流れ着いた浄土宗の僧で、念仏を広めた人物。
念仏と言えば踊り念仏、沖縄で踊り念仏といえば・・・そう、エイサーです!現在の通説では、彼が伝えた踊り念仏が元になり、今のエイサーになったのではないか、と言われています。念仏踊りが今の勇壮なエイサーに姿を変えるなんて、上人も想像できなかったでしょうね~。
袋中上人「念仏の趣旨は、どこいった?」
ところがこの碑の説明の後、ガイドさんが数人にこっそり言っているのを聞いてしまったのです。
「40年以上袋中上人の研究をしている学者さんの講演を聞きに行ったことがあるんだけど・・・この長い研究の結果、袋中上人とエイサーとの関連性は見つからなかったそうですよ」
・・きっと、まだ見つかったないだけ!きっと、そうですから!!
関係ないけど、松山公園にある梅の乙女像。どう見ても、ボッティチェリの『春』に描かれている季節の三女神にしか見えない。
ちょっとした後味の悪さを残して、バスで移動します。
やってきたのは集合場所でもあるうみそら公園。
風が強すぎて変形した椰子の図。「我々は海風に負けたのだよ・・」
強めの風が吹く中、エイサーが始まります。
ちびっこはガナシーのテーマソングで。
獅子きた。
獅子、人のリュックを盗もうとする。
オーラスは、参加者に太鼓やパーランクーを渡して踊る踊る!
最前線でノリノリの母親。
それにしても、エイサーで観客に道具を渡すシーンを初めて見ました。これは珍しいんじゃないかな??
母「っあ~、楽しかった!!!」
やけにすっきりした表情の母親。やっと目が覚めてきたような気がする私。温度差を抱えながらも、次は散歩しながらの移動です。やっと本来のまちま~いっぽくなってきました!
海沿いをブラブラ歩きながら、後半に続く。
かかってきた1本の電話に小踊り。おぉ、ラッキー。
そんなわけで、1月3連休の最終日、那覇みなとまーいに参加です!
1月13日(月)
当日は生憎の雨。前日は太陽がさんさんと降り注ぎ、寒波に苦しむ内地が死ぬほど羨ましがるような気候だっただけに、朝7時に起きた時のテンションが急降下。
同行する母親も、
「中止の電話がきたらすぐ出られるようにしておきなさい」
と、出発ぎりぎりまで着替えないという後ろ向きの姿勢。そして私は連日の睡眠不足と前夜のランニング疲労で、今にもベッドに沈む勢い。
当然電話はきません。ベッドの誘惑を振り切り、意識が半ば白いまま、家を出ます。
小雨だけど外を回るとなると・・・orz
集合場所は今年5月にオープンしたうみそら公園。
ちなみにこちらはサンゴを移植した場所があります。公園の許可したインストラクターの案内でダイビングやシュノーケリングができるのですが、オープンしたての頃、何も知らず一人で泳いで管理人者4人に取り囲まれた苦い経験があります。いい大人なのに・・。
当日の参加予定者は60人。半分ずつに分かれてバスに乗り込み、いざ出発!
最初に到着したのは、
ロワジールホテル。オリエンテーションのようなものがあるらしいが、ロワジールとは。お金かけてますな~。
通路はほのかなレモングラスの香りで演出されている。
オリエンテーション、開始。
このみなとま~いは、那覇市から主催のNPO法人ナハ・シーパラダイス協議会が委託を受けた事業で、那覇のウォーターフロントに関心をもってもらうために実施されているのだそう。
シーパラの白石理事長曰く、今回のみなとま~いを通じて自分たちの住む街をよく理解し、他の地域の人たちとのコミュニケーションに役立てて欲しいとのこと。そういえば最近、人と話をする時に自分の住んでいる地域の話ってあまりしなくなったんじゃないでしょうか?
さて。
演壇にあがったのは、嘉数仁然さん。沖縄の歴史、文化等に造詣が深く、テレビ、ラジオ等で番組を持ったり、監修をしているのだそう。
しかし、彼は言っていました。
「自分はふざけた人間です。せっかくなので琉球文化を面白可笑しく伝えていきたいと思ってます!」
いいですね、こう言われると聞く気になれます。
講演の中で面白かったものをピックアップしていきましょう。
貝塚時代の人も、現代人も、同じ海産物を食べている。貝塚からは同じもの=美味しい貝なんかが多く出土するようです。
昔の貝塚から、沖縄の海にしかいない、イモガイやゴボウラの腕輪が遠くは青森県で発見されている!どんなルートと方法を辿っていったんだ!?
沖縄は資源がない国で、昔は海も自分たちの国という意識があったらしい。だから貿易が盛んだったのですね。
三重城だけに砲台があったが、ここだけ守ればよかった。なぜならリーフに乗り上げると、船が大破するので。結局、薩摩侵攻の際、読谷から上陸されたおかげで琉球は負けたそうですが、その後砲台が撤去されたそうです。
海からきたもの①。唐芋、石敢當、こんぶ、蘇芳(染料)、アグー、鉄砲。鉄砲は日本より100年も早かったとか。その時日本に侵攻してたら、日本に勝てたんじゃない?歴史ってタイミングだなぁ。
海からきたもの②。念仏踊り(→エイサーへ)、天妃宮、組踊、程順則、壷屋焼。焼きの技術をあげてくれたのは朝鮮人だった!
海からきたもの③。泉崎の旧ロータリーには龍がいる!風水に基づいているらしいが、これは気付かなかった。
その他、沖縄の言葉は中国の言葉が元になっているものがたくさんあるらしいです。いゆ、さんぴん、さんみん、etc・・。
短い講演の後は、いざ、街歩き!!ここからは那覇まちま~いのガイドさんの案内になります。
最初にやってきたのは・・
身近にあるけど地元の人はあまり行かない、福州園。
実はOTVとRBCがへばりついてた。
福州園は、那覇市の市制70周年および福州市との友好都市締結10周年の記念事業として、1992年に開園した中国式の庭園。なんとこの庭園を造るための材料は、土に小石から始まり全て福州市から持ってきているのだとか!徹底してるなぁ。。
中国式公民館らしい。中国の公民館は建設にお金がかかりそうだ。
黒い塔、通称『烏塔』。
白い塔、通称『白塔』。誰か、黒と白の差について!
庭内の道を飾る小石。わざわざ福州市から海を越えてやってきたのね・・。
中国では穴がたくさん空いた奇岩が珍重されたらしい。この感覚は、日本にはないよね。
干支で飾られた石橋があります。よく見ると何かがおかしいと思ったら、
ヒツジの場所にヤギが鎮座し、イノシシはブタ。ヤギはともかく、ブタ年ってやだなぁ。。
この建物の天井は・・・
宇宙の中心に据えられた菊の図。菊は百花の王と見なされ、富貴の象徴とのこと。なんだろ、あの花弁がぎゅっと詰まった感じかな?私は菊と言われたら、仏壇やお墓しか出てこないから、あまりいいイメージがない。
それにこの絵面、なんだかビオランテ思い出す。
余談ですが、中国の国花は梅。その昔、漢詩では花といえば梅が詠まれていたため、日本に漢詩が渡ってしばらく、奈良時代後半くらいまでは日本も詩の中では春の花として梅を詠んでいました。
しかし平安時代に入る頃から、梅から桜に徐々にシフト。やはり日本には、梅ではなく桜が似合うのですね。
秋のイメージで刻まれた鹿らしい。しかし沖縄にこの心は理解できるのであろうか。
(鹿の鳴き声は、秋の季語)
杯を拾い上げる李白。川に杯を浮かべ、自分のところに流れ着くまでに詩を作る遊びに興じている場面らしい。なんとも風流な・・・。
そして、李白の目の前には滝があるのですが、その裏に入ることができるらしい!
軽く洞窟探検気分で、こども大興奮。
こどもという生き物は、水に触れたがるのだよ。
福州園、以前来たことはあったのですがとっとと帰ったのであまり記憶に残っていません。しかし今回のガイドで、広さとよさを随分知りました。天気のいい日にもう一度来たいな!
ところで福州園のトイレは現在改装工事中で使えません。その理由は、あまりに汚いから、とのことなのですが・・・工事が必要なくらい再起不能の状態までそのままにしておくとか、どんなよ。那覇市、どうなのよ。
次に向かった先は・・・
孔子廟。沖縄に孔子廟があったなんて!!
こちらには孔子と、孟子等4人の優秀な彼の弟子が祀られてます。
なお、孔子廟は孔子を讃えている地域にはどこにでもあるようで、横浜、長野、群馬にもあるらしい。横浜は分かるんだけど、長野や群馬にまで廟があるなんて。でも、孔子が東洋に及ぼした影響を考えると、うなづける話ではありますね。
ただし台湾の孔子廟では、
カフェのマークにされてた。そんなんでいいのか、孔子様。
お次は福州園の道向かい、松山公園を通って・・・
袋中上人(たいちゅうしょうにん)行化碑へとやってきました。狭い場所に大人がドヤドヤ侵入していくので、
隣の那覇商の生徒たちが面白がって見下ろしていました。その様子を収めようとカメラを向けると、笑って逃走。ごめんね。
入れぬ。そして見られぬ。
ここで袋中上人について・・・
彼は1600年頃(琉球王国第二尚氏、尚寧王の時代)に琉球に流れ着いた浄土宗の僧で、念仏を広めた人物。
念仏と言えば踊り念仏、沖縄で踊り念仏といえば・・・そう、エイサーです!現在の通説では、彼が伝えた踊り念仏が元になり、今のエイサーになったのではないか、と言われています。念仏踊りが今の勇壮なエイサーに姿を変えるなんて、上人も想像できなかったでしょうね~。
袋中上人「念仏の趣旨は、どこいった?」
ところがこの碑の説明の後、ガイドさんが数人にこっそり言っているのを聞いてしまったのです。
「40年以上袋中上人の研究をしている学者さんの講演を聞きに行ったことがあるんだけど・・・この長い研究の結果、袋中上人とエイサーとの関連性は見つからなかったそうですよ」
・・きっと、まだ見つかったないだけ!きっと、そうですから!!
関係ないけど、松山公園にある梅の乙女像。どう見ても、ボッティチェリの『春』に描かれている季節の三女神にしか見えない。
ちょっとした後味の悪さを残して、バスで移動します。
やってきたのは集合場所でもあるうみそら公園。
風が強すぎて変形した椰子の図。「我々は海風に負けたのだよ・・」
強めの風が吹く中、エイサーが始まります。
ちびっこはガナシーのテーマソングで。
獅子きた。
獅子、人のリュックを盗もうとする。
オーラスは、参加者に太鼓やパーランクーを渡して踊る踊る!
最前線でノリノリの母親。
それにしても、エイサーで観客に道具を渡すシーンを初めて見ました。これは珍しいんじゃないかな??
母「っあ~、楽しかった!!!」
やけにすっきりした表情の母親。やっと目が覚めてきたような気がする私。温度差を抱えながらも、次は散歩しながらの移動です。やっと本来のまちま~いっぽくなってきました!
海沿いをブラブラ歩きながら、後半に続く。
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