2014年07月15日
古都に求める真夏の涼 ~那覇まちま~い 首里城下町物語 湧水を訪ねて その2~
その1の続き。
玉那覇さんの工場からすぐ近くにある、安谷川御嶽(あだにがーうたき)。
石井「あれ?ここに大きなでいごの切り株があったんですけど、なくなってますね。立派な木だったんですけど何年か前に枯れちゃって。撤去したのかな。」
玉那覇さんの工場からすぐ近くにある、安谷川御嶽(あだにがーうたき)。
石井「あれ?ここに大きなでいごの切り株があったんですけど、なくなってますね。立派な木だったんですけど何年か前に枯れちゃって。撤去したのかな。」
・・・・なんというか・・・まぁいいでしょう。
まちまーいからいただいた紙には御嶽の云われが書かれてあったので、抜粋すると、 「琉球国由来記(1713年)」によると、首里大阿母志良礼(しゅりおおあむしられ)の司る御嶽の一つとなっています・・・ということです。
この非常に読みづらい名前の方は、琉球王朝時代の高級女神官の一人。つまり、この御嶽は格の高い御嶽のようですね。
参加者「この奥、洞窟あるんですよね。」
実は今日のまちま~いの参加者は3名。
私とやう、それと大人しめの初老の男性です。
私とやうはふざけあって終始きゃっきゃしまくり。もうほんと温度差つくってしまってごめんなさい。。
おおっ!!
光溢れる明るい世界に突如現れる闇の洞窟は、まるでぽっかり空いた異世界への入り口。
なんというか、住宅が密集している王都の御膝元にこんな場所ってあるんですね・・・。
先の大戦では、王都決戦に臨んで多くの兵士がここに隠れていたのかもしれません。
中に入ると、外気から一気に温度が2度ほど下がり、ひんやり、ぞくっと肌をさすります。
奥にはこじんまりとした拝所があり、今でも小さな灯りを手にここで拝みをする人たちの姿が闇に浮かぶようでした。
この角度のなんという安心感・・・アブチラガマでの体験を思い出します。
石井「写真撮ってるんですか?大丈夫ですかね、何か写りませんか??」
牧「ええ・・・アブチラガマで実績があるんで・・・。」
洞窟に向かって一礼をし、お次の安谷川に向かいましょう。
こちら安谷川(アダニガー)。
昔は水量も豊富だったようですが、今は湧く水も少なく、ほぼ淀んだ水たまり。
しかしこれは、15世紀の中頃つくられた古謡にも出てくるふる~~い井戸。少なくとも500年以上も前から、ほとんど姿を変えずに存在する貴重な水源だそうです。
手前の柵は、戦後できたもの。
昔は柵もなく、直接水を汲んだり利用していたんだとか。
水場を塞ぐように柵ができるとか、危険に対する感覚が現代に近づいたんだなぁという感じがします。
良くも悪くも。。
カーの中をじ~~~っと見つめてみよう。
淀んだ水には動きがないんですけど、たった一つだけ、頻繁に浮き沈みを繰り返し、私の目を引いたものがありました。
どんな生き物がいるんだろ??と思って視線をやると、そこにあったのはセミの死骸。
よくよく目をこらすと、3匹ほどのヌマエビにつつかれて、くるくると水中でエビとダンスを踊っているようにも見えました。
まぁ、現実はダンス相手に食べられているんですけどね・・・。
嶺間括り(ミーマクビリ)でガイドさんの説明中、ひたすら甘い声を放っていたにゃんこ。
ミーマクビリは見ても解説もよく分からなかったので割愛!だって、
こらあかんやろ。
もう解説なくてもいいと思います、まちま~いさん。。
これは、心に残らない。。いや、別の意味で残るかな・・・。
“石敢當”さんのお宅(笑)
石井「ここは琉球王朝時代の有名な政治家、羽地朝秀(はねじちょうしゅう)の生家跡です。1609年の薩摩侵攻の後、琉球王国は属国になって厳しい時代を迎えるんですが、彼は贅沢を禁止して倹約・節約を推奨し、農地の開発を行ったりと行政改革をしたんですね。琉球王国時代の有名な政治家と言えば、彼と蔡温と、あと一人・・・誰だったかな。。」
いや、首里を案内するならそこはなんとかひねり出してくださいよ。。
どなたかの家の、拝所と井戸。井戸は拝みの対象らしいのだが・・・
石井「沖縄では、水があって、私たちが生きていける、という考えがあります。だから沖縄では井戸は絶対潰しません。何かの時も、井戸にパイプを入れて石を入れるんですね。井戸の神様が息ができるように。」
元々真水が貴重な沖縄らしい思想だと思いました。
井戸に神様がおわすなら、そりゃ井戸そのものに格の差もありますよね。妖怪さんぽに参加した際、小原先生から聞いた『位の高い井戸』の理由が分かった気がします。
参加者「日本でも井戸は潰さないんだよ。」
そういえば・・・・!!
読者のみなさんの中で、映画『リング』を見たことのある方はいますか??
物語の要となってくる山奥のロッジ。貞子が捨てられた井戸はそのロッジの床下に隠されてありましたよね。
リング公開時はまだ中学生だったので、「井戸を埋めるのがめんどくさくてこんな手抜き工事して・・・」と思ったものでしたが、日本にも井戸信仰があるのだとすれば、あの状態は至極当然。
井戸そのものが神がかり的存在だと考えられているのであれば、井戸から這い出てくる貞子のおどろおどろしさも、単に死者が井戸から這い出てきたモノ、とは全く違った意味合いで捉えることができますね。
原作者の鈴木光司氏が大好きな私は、彼の意図するものに少し近づけた気がして心の中で小躍りしました、ひゃっっほう。。
クネクネの急な坂道だし道路は大きくないのに、なぜか交通量の多い首里の道。散歩にはやや危険。
諸事情により、刻んでいきます。
その3に、続く。
まちまーいからいただいた紙には御嶽の云われが書かれてあったので、抜粋すると、 「琉球国由来記(1713年)」によると、首里大阿母志良礼(しゅりおおあむしられ)の司る御嶽の一つとなっています・・・ということです。
この非常に読みづらい名前の方は、琉球王朝時代の高級女神官の一人。つまり、この御嶽は格の高い御嶽のようですね。
参加者「この奥、洞窟あるんですよね。」
実は今日のまちま~いの参加者は3名。
私とやう、それと大人しめの初老の男性です。
私とやうはふざけあって終始きゃっきゃしまくり。もうほんと温度差つくってしまってごめんなさい。。
おおっ!!
光溢れる明るい世界に突如現れる闇の洞窟は、まるでぽっかり空いた異世界への入り口。
なんというか、住宅が密集している王都の御膝元にこんな場所ってあるんですね・・・。
先の大戦では、王都決戦に臨んで多くの兵士がここに隠れていたのかもしれません。
中に入ると、外気から一気に温度が2度ほど下がり、ひんやり、ぞくっと肌をさすります。
奥にはこじんまりとした拝所があり、今でも小さな灯りを手にここで拝みをする人たちの姿が闇に浮かぶようでした。
この角度のなんという安心感・・・アブチラガマでの体験を思い出します。
石井「写真撮ってるんですか?大丈夫ですかね、何か写りませんか??」
牧「ええ・・・アブチラガマで実績があるんで・・・。」
洞窟に向かって一礼をし、お次の安谷川に向かいましょう。
こちら安谷川(アダニガー)。
昔は水量も豊富だったようですが、今は湧く水も少なく、ほぼ淀んだ水たまり。
しかしこれは、15世紀の中頃つくられた古謡にも出てくるふる~~い井戸。少なくとも500年以上も前から、ほとんど姿を変えずに存在する貴重な水源だそうです。
手前の柵は、戦後できたもの。
昔は柵もなく、直接水を汲んだり利用していたんだとか。
水場を塞ぐように柵ができるとか、危険に対する感覚が現代に近づいたんだなぁという感じがします。
良くも悪くも。。
カーの中をじ~~~っと見つめてみよう。
淀んだ水には動きがないんですけど、たった一つだけ、頻繁に浮き沈みを繰り返し、私の目を引いたものがありました。
どんな生き物がいるんだろ??と思って視線をやると、そこにあったのはセミの死骸。
よくよく目をこらすと、3匹ほどのヌマエビにつつかれて、くるくると水中でエビとダンスを踊っているようにも見えました。
まぁ、現実はダンス相手に食べられているんですけどね・・・。
嶺間括り(ミーマクビリ)でガイドさんの説明中、ひたすら甘い声を放っていたにゃんこ。
ミーマクビリは見ても解説もよく分からなかったので割愛!だって、
こらあかんやろ。
もう解説なくてもいいと思います、まちま~いさん。。
これは、心に残らない。。いや、別の意味で残るかな・・・。
“石敢當”さんのお宅(笑)
石井「ここは琉球王朝時代の有名な政治家、羽地朝秀(はねじちょうしゅう)の生家跡です。1609年の薩摩侵攻の後、琉球王国は属国になって厳しい時代を迎えるんですが、彼は贅沢を禁止して倹約・節約を推奨し、農地の開発を行ったりと行政改革をしたんですね。琉球王国時代の有名な政治家と言えば、彼と蔡温と、あと一人・・・誰だったかな。。」
いや、首里を案内するならそこはなんとかひねり出してくださいよ。。
どなたかの家の、拝所と井戸。井戸は拝みの対象らしいのだが・・・
石井「沖縄では、水があって、私たちが生きていける、という考えがあります。だから沖縄では井戸は絶対潰しません。何かの時も、井戸にパイプを入れて石を入れるんですね。井戸の神様が息ができるように。」
元々真水が貴重な沖縄らしい思想だと思いました。
井戸に神様がおわすなら、そりゃ井戸そのものに格の差もありますよね。妖怪さんぽに参加した際、小原先生から聞いた『位の高い井戸』の理由が分かった気がします。
参加者「日本でも井戸は潰さないんだよ。」
そういえば・・・・!!
読者のみなさんの中で、映画『リング』を見たことのある方はいますか??
物語の要となってくる山奥のロッジ。貞子が捨てられた井戸はそのロッジの床下に隠されてありましたよね。
リング公開時はまだ中学生だったので、「井戸を埋めるのがめんどくさくてこんな手抜き工事して・・・」と思ったものでしたが、日本にも井戸信仰があるのだとすれば、あの状態は至極当然。
井戸そのものが神がかり的存在だと考えられているのであれば、井戸から這い出てくる貞子のおどろおどろしさも、単に死者が井戸から這い出てきたモノ、とは全く違った意味合いで捉えることができますね。
原作者の鈴木光司氏が大好きな私は、彼の意図するものに少し近づけた気がして心の中で小躍りしました、ひゃっっほう。。
クネクネの急な坂道だし道路は大きくないのに、なぜか交通量の多い首里の道。散歩にはやや危険。
諸事情により、刻んでいきます。
その3に、続く。
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